「なんだ、マルス」
いつものように、特に断るでもなく母艦の一室へとやってきたマルス、
その顔を見てつい、フォックスが言う。
「珍しく威勢がよくないじゃないか」
「・・・」
普段から騒がしい方ではない王子様だが、
それでも常に態度はデカイ。
優雅な物腰はそのままに、
ズカズカとフォックスの私室に入って来て、なんの躊躇いもなく椅子を引き、
『今日のお茶は?』と聞いて来る、
・・・そんな、
もはや日常とも言える当たり前の行動を
彼は取らなかった。
部屋の入口で佇んだまま、マルスはフォックスを見詰めている。
「どうかしたか?」
「・・・フォックス」
と、神妙に言葉をこぼし始める。
「・・・聞いてくれるかい?」
「・・・ホント、珍しいな」
なんだか得体の知れない違和感に襲われる。
「お前が俺に相談事とはね」
「君なら聞いてくれるんじゃないかと思って」
「いったい、なんだ?」
フォックスが先を促すと、
マルスはしばしの間をおいて、
慎重に、言葉を紡いだ。
「・・・・・・夢を、見たんだ」
・・・『夢』?
その単語に、
フォックスは・・・
・・・こらえきれず、ついつい笑ってしまった。
「おいおい、
夢ぐらいで悩んでるってのか?よりによってお前が?」
「・・・可笑しい、よね」
マルスまで、こちらは自嘲の篭った笑いを浮かべる。
「やっぱ・・・可笑しい、か。夢ごときで相談しにくるなんてね」
「いや・・・」
口で笑いながらも眼差しは沈みっぱなしなマルスに、
「見た夢で悩むってのは、まぁ普通だよ」
フォックスが一般論を提示する。
「ただ・・・」
「ただ?」
パッと顔を上げ、聞き返すマルスの顔が、
珍しく、本当に珍しく、素直な10代の青年の顔に見えた。
「・・・俺は」
フォックスはそんな彼に対し、
「お前ほどのリアリスト・・・、現実主義者を知らない」
正直に自分の知っている現実を述べる。
「夢っていうのは、
脳内に充満している記憶の端々が繋がって現れる物だ。そうだろ?」
マルスは答えない。
夢の発生メカニズムの定説くらい、
科学とは縁がないマルスも『ここ』で得ているはずだ。
「・・・僕の夢じゃ、なかった」
「?・・・まぁ、夢ってのは大概意味不明なもんだからなぁ」
「・・・」
・・・
適当に答えてしまったのがよくなかったのだろうか?
マルスは、しばし無言でフォックスを睨んだ後、
踵を返して出ていこうとした。
「あ・・・おぃ!マルス!?」
「すまないね、意味のわからないこと押し付けて」
「いやッ、ちょ・・・ちょっと待てっ!」
その腕をフォックスは掴み、引き止める。
なぜか、驚いたように振り向き、フォックスの目をまじまじと眺める。
「・・・らしくないぞ」
「・・・」
黙って、マルスはまた少し、目線を落とす。
フォックスは、
この王子相手に兄貴風を吹かせているような自分を否定しつつ、
マルスの腕を放した。
「まぁ・・・座れ。茶も煎れるからさ」
そこは、
大きな部屋だったんだ。
大きくて、果てが見えない、部屋だった。
・・・扉を開いて入ってきたんだ。
だから、部屋だとは知れた。
だがどこまでが本当の部屋で、どこからが幻なのか、
さっぱり見当もつかなかった。
僕は、とりあえず中へと歩を進めた。
床には薄く水が張っていて、
足をつくたびにピチャピチャと音を立てた。
でも、不思議と、水の上を歩く不快感はなかった。
僕はまっすぐに、歩いた。
そこには1本の枯れ木が立っていた。
そこまで行って、ちらっと見たけれど、なんの変哲もない枯れ木だった。
真っ白い風景の中にあんな枝葉もない木が立っていると、
なぜか孤独感が増すもので、
僕はそれを背に、歩き続けた。
2歩、3歩・・・
歩いたところで、
妙な気配に気付いたんだ。
ああいうのをきっと魔物の気配というんだろうね。
背筋に寒気が刹那に走り、呼吸することすらを瞬間的に躊躇う。
そんな感覚。
反射的に振り向いた。
剣はもうすでに抜いていたから、ただ振り返った。
そこに居た者を見た時・・・
・・・
僕は・・・
そう、夢を見ている僕は、それを奇妙に思った。
見覚えがある姿、
それにそっくりで真っ黒な影が、そこには立っていたんだ。
僕と同じように抜き身の剣を手にしてね。
僕はそいつの事を、よく知っているつもりでいた。
だからそんなに身構える必要もなかった。
・・・けど、
実際はそうじゃなかった。
本当は、その姿を目にした瞬間に、
僕が思ったよりももっとひどく驚愕していて、
頭の中が真っ白になってた。
真っ黒なそいつの姿は、
明らかに魔物であり、敵であり、切り捨てなければならない存在だった。
ここまでもずっと、そうしてきた。
けれど、
今目の前にいるヤツは、明らかに他の魔物とは違った。
なぜなら
その姿形は、自分のそれと何も変りはしなかったのだから。
ご丁寧に持っている剣まで模しているとくれば、
どんなにできた人間でも驚き戸惑うものさ。
しかも、これまた真っ黒で。
それはまるで
自分自身の醜き物によって象られているかに感じられた。
でも、
気力を呈して、剣だけは構えたんだ。
魔物の姿なんて所詮まやかしだ、そう自分に言い聞かせ、
動揺した精神を落ち着けようとした。
だが、
その魔物は、
剣を突きつけられると、ニヤッと笑ったんだ。
こっちの驚く顔をさも楽しそうに眺めながら、
そいつは、歩み寄ってきた。
そしてくぐもった声で、話し始めた。
『哀れだな、我が片割れよ。
オマエは自分を殺してまで先に進まねばならぬのか。
運命だなんて物に縛られて、オマエはオマエの居ない世界を救うのか』
こちらは一歩も動くことはなかった。
動くことなんてできなかった。
魔物がどんどん近づいてくる。
『オマエが世界を救っても、そこに真のオマエはあらず、
ただ勇者と言う名の皮だけが、神々の力と共に祝福を受ける・・・』
それを拒むことが出来ないまま、
構えた剣を振るどころか切っ先を揺らすこともできないまま、
そいつは
指一本と離れていないところまで、寄って来た。
『・・・オマエが全てを救っても、
誰も、オマエを救ってくれない』
もう目前に迫った、魔物の血の色の瞳。
『サァ・・・ドウスル?』
(黙れッ!!!)
遂に、大きくそう咆えて、
左手の聖剣をもってそいつを力任せに薙ぎ払った。
「・・・」
「・・・」
「・・・・・・で?」
「・・・」
夢の話の途中で黙りこくったマルスに、
フォックスは目配せした。
マルスは両手を顎の下で組んだまま、
「それで・・・」
続きを口にする。
フォックスが僅かに身を乗り出した。
「・・・目を開けたんだ」
「?」
「そこで、目を開けた。
・・・
そこには、リンクの顔があった。
ふかふかベッドに埋もれて、それはそれは気持ちよさそーに寝入ってる、
いつものリンクの顔があった」
「・・・」
「けど、僕が少し動いただけで、リンクも目を覚まし、
『おはよ』・・・って
普通すぎる笑顔で僕に言ったよ」
「待った」
フォックスが話を圧し止める。
「えーっと・・・」
と、頭を抱え、
「まだ、それは夢の話か?」
「違うよ」
「・・・」
あっさり否定するマルスのおかげで、さらに頭痛が増す。
「お前ら・・・
いったいどこでどーいう寝方を・・・」
「リンクってば夜もすご」
「あ"ーーー!もうイイッ!!言うなそれ以上ッ!!!」
怒声だか奇声だかよくわからない声を上げると、
マルスはコロコロと軽く笑った。
からかわれているのか、本気なのか。
どっちがいいとも思えないし・・・どっちでももうよかった。
「・・・んで、その夢な」
「そう、夢」
マルスも笑いをすっと静めた。
「・・・お前の夢じゃない、か」
「そう。さすが鋭いね」
ふといつものいたずらっこい目を見せたかと思えば
また沈めて、言った。
「あれは、リンクの夢だった」
「・・・だろう、な」
フォックスの方も、それを肯定する。
「おそらく、リンクが、ダークリンクと初めて会った時の夢」
「あぁ・・・」
フォックスが確かにうなずく。
「フォックスは」
「ん?」
「聞いたこと、あるんじゃないの?」
「何をだ?」
「この夢の、本当のところ」
向けられるマルスの真摯な眼差しに、
フォックスは思案した。
彼が聞きたいことを探りながら、自分の記憶を辿り、
「・・・あぁ」
短く答えを告げる。
「やっぱり・・・」
「でもほんの少しだけ、だ」
と、冷め始めてしまったお茶に手を伸ばす。
「ダークリンクが『ここ』に現われて、
その時に、あれがなんなのかをあいつに聞いた」
「なんて・・・言ってた?」
「・・・」
フォックスはお茶を一口すすり、上目使いで空を見上げる。
「・・・
俺の影なんだよ、って」
「・・・・・・それだけ?」
「・・・
面白いよな、だの、
意外に悪いヤツじゃないからよろしくね、だの・・・」
・・・並べてみれば、あんまり大した話がでてこない。
あの能天気な勇者の顔を互いに思い浮かべながら、
2人はため息ともとれる息を吐き出す。
「・・・まぁ・・・リンクらしい説明だ」
「俺もそう思う」
フォックスは手のコップを持て余しながら、
その液面を眺めた。
マルスの方は、組んだ腕をテーブルに乗せたまま、
その板面を眺めている。
静かにマルスは口を開いた。
「本当のところ、リンクはどう思ってるんだろう」
「確かに悪いヤツではないな。よくリンクとも、一緒にいる」
「そこがわからないんだよ」
「・・・同郷同士は仲がいいものだ」
「魔物、なんだろう?
性格人格はともかく、
自分の深淵に潜むものを映し出す影として彼がいるのだとしたら・・・」
マルスは
じっと、テーブルの鏡面に微かに映る自分の姿を見据え、
「僕だったら絶対に殺す」
重く、低く答えた。
刹那にその瞳に光るは、絶対的な決意や殺意などではなく、
危いまでに不安定な思い。
「・・・間違ってはいない、な」
「リンクはどうして一緒にいられるのか。
僕には理解できないんだ」
マルスは真剣に悩んでいるようだった。
ますます、
フォックスには彼の様子が珍しく見えて仕方がない。
理解できないと言いながら、本気で理解しようと努めている。
「お前らじゃ、違いすぎる」
フォックスは、自分にできる限り、
客観的で正直な意見を述べた。
「お前は自分の弱点や悪癖をなくす事で自分を高めようとするタイプだろ?」
「え・・・まぁ」
「あいつは違う。
自分の良いとこ悪いとこ全部ひっくるめて『自分』とする。
自分の欠点を直すより、むしろ利用する」
自分を隠しているのかいないのかすらも読めぬ、
あの天然勇者の性格を、フォックスはよく知っていた。
マルスもそれをわかっているから、ここに来たのであって。
「だから、影が隣にいようとも、自分を見失ったりしないんじゃないのか?」
あいつが自分の影を嫌っていないのは、火を見るより明らかだった。
それと同時に、
彼に理由さえあればあの魔物を殺す、その覚悟も持ち合わせていることも。
「でも・・・
夢に見るってことは、・・・まだ割り切れていない・・・
・・・と考えられない?」
「あいつも肝心なところで子供だからな。
全く全て切り捨てられるわけはないんだろう」
ご託を並べては見たが、
見た目以上のあどけなさを残す彼の考えていることなんて、
フォックスがすべて知ることなどできず、知ろうとも思わず、
さらに言うなれば、あいつだって自分の事わかっちゃいないんだろうと思った。
「・・・」
「・・・」
マルスの表情は、いまだ冴えない。
・・・あいつと比べて、こいつはどうだ。
こんなにも自分と向き合って、自分の中の思考を何度も何度も練り上げて、
それでも落ち着かぬ、自分の心をじっと見詰めている。
「マルス」
フォックスは、あくまでも傍観者の立場を堅持したまま、
目の前に呼びかけた。
「お前、心配なのか?」
ピクッと、マルスに僅かな動揺が走る。
「え、ど・・・」
「悩みのなさそうなリンクに、悩みがあるのが心配なんだろ?」
「いや・・・そうじゃ」
「あぁ、違うか、心配したいのか」
「そうじゃないッ!!」
思わず、立ち上がる。
机の上の食器たちがカチャリと揺れた。
そして静まりかえる、部屋の中。
マルスの胸中だけにめまぐるしく様々な思いが駆け巡る。
「・・・」
「・・・」
それを傍目に、
フォックスは涼しい顔でコップのお茶を飲み干した。
時計もない部屋で、
しばし沈黙の時間が流れていく。
「・・・・・・失礼」
と、
マルスが、低く短い謝辞を述べ、椅子に座りなおす。
「気にするな」
「そうだね、そうする」
落ち着きを取り戻し、
マルスはカップを手に取り、口へと当てがう。
「・・・」
「・・・」
王子は、物音1つ立てず、上品に茶を嗜んだ。
何を考えているのか、考えるのはやめたかはわからない。
静かに静かに、時間は過ぎる。
「・・・美味しかった」
マルスは空になったカップをソーサーへと戻す。
陶器の重なる音がコトリと小さく鳴った。
「おかわりお持ちしましょうか?」
「いいのかい?ぜひたのむよ」
フォックスが立ち上がり、自分のコップとマルスのカップを取る。
「気になるなら、
今度、聞いてみたらどうだ?」
「え?」
「夢のこと」
マルスが返事につかえると
「お前が見てしまったわけじゃぁない。見せたアイツが悪いんだ。
だから、気にすることはないさ」
フォックスはそう言って笑いかける。
マルスも少しだけ頬を緩めた。
「・・・なんと、言うかな」
「さぁな。続きが聞けるかもしれないぞ」
「それは気になるね」
だいぶいつもの余裕を取り戻したマルス、
フォックスは自分の中の物も笑みでごまかしながら、
彼に背を向けた。
扉が開くと、微かに風が吹いたような気がした。
「オレはあんなネチっこい話し方しないし」
「もっと、単刀直入にグサッとだよな」
「・・・じゃねぇとお前聞かないだろ、ハナシ」
そんな会話が聞こえてきそうです。
ハイラル人というのは素でテレパシー使ったりしちゃう人達ですから、
夢移しくらい無意識でやりそうだな、とか。
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