これは、むつかしい距離だな、そう感じた。
自分の背中には相手の腕が添えられている。
脇をくぐり背中を伝い、その腕は自分の全身をしっかりと包んでいるように思える。
だがその腕はけっして自分の身体を引き寄せたりはしない。
あくまで支えているだけ。2人の服は擦れ合っているのに、体が触れ合うことはなかった。
また相手のもう片方の手は、自分の顔程の位置で、こちらの右手を握っていた。
強すぎず、弱すぎず。
これよりも強く握られれば抑圧を感じるだろうし、これよりも弱ければするりと擦り抜けてしまうだろう。
……抜け出してしまいたい気分だ。
だがその程よい力加減は、それを許してはくれない。
強制はされていない。だから逃げなくていい。
しっかりと支えられている。だから逃げられない。
これは、むつかしい。
どうしていいのかわからない。
自分の左手は、相手の肩に添えられている。
この手を握っていいのやら、開いていいのやら……開いているのか?握っているのか?掴んでる?
とにかくどう相手に触れればいいのかわからなかった。
右手だってそうだ。
相手の左手に包まれたこの右手の扱いはどうすればいい?
リンクは何もかもわからないまま、相手の目を見つめる他なかった。
近い。
今までこんなに近かったことはない……かと言うと、違う。
乱闘中はこのくらい、いや、もっと接近することがある。だから初めてではない。
しかし、それは戦いの中でのことだ。
争う相手としてではなく、また背中を預ける仲間としてでもなく、これだけの至近距離で見合うのは、初めてのように思う。
「……」
「……」
互いに見つめ合う。視線が交錯する。
そこには―――
―――何の感情も浮かばなかった。
リンクの頭に浮かんだのはただ1つ。口にする前に、頭の中で、よくよく反芻する。
……どうしてこうなったんだ?
「パーティやりたいのよ」
『……はぁ』
そうですか。
2人は共に心の中でだけ呟いた。
昼下がりののどかなキノコ王国郊外で、リンクとアイクはいきなりピーチにそう言われた。
「ハロウィンパーティなんて、楽しそうじゃない?」
「やるならもちろん行くけど」
美味しいものを食べに。
またも余計な一言は呑み込んだリンク、我ながら大人になったものだと思う。
「どうしていきなり?」
アイクがピーチに尋ねる。
たしかに、ピーチは人と集まって何かをするのは好きなのだが、
『やるからいらっしゃい』『いつでもどうぞ』と誘ってくれるだけで、
自分たちに対して『やりたいの』と言ったことは今までなかった。
「久しぶりにキノコ城で晩餐会でもしたいのよ」
「やればいいじゃないか」
「ただの晩餐会じゃなくて、歓迎パーティにしようと思うの」
『歓迎?』
リンクとアイクが目を見合わせる。
「歓迎って、誰の?」
「もちろん!新しく参戦したみんなのことよ」
2人はしばし押し黙る。
なるほど、ひとまずパーティーの動機はわかった。
わかったが…
「俺たちの時はなかったじゃん」
いちおう、リンクは文句を言ってみた。アイクも隣で肯いている。
「あなたたちの時は忙しかったじゃないの」
「……まぁ、たしかに」
そう言われれば、それもそうだ。
よくわからない魔物だかなんだかがわんさか出てきてて、悪巧みしてる奴らがいて、
囚われの身の者、フィギュアに戻された者なんかもいて、
極めつけにタブーとかいう厄介なのも出てきて、確かにパーティなんて考えつく間もなかった。
「それでね」
と、ピーチが切り出す。
彼女にしては珍しく、話の結論を急いでいるようだ。
「エスコート役をしてほしいの」
『エスコート?』
またも2人して、ピーチの言葉をおうむ返しにする。
「……何するの?それ」
「大したことはしてくれなくていいのよ。
最初だけ、できればお迎えをして、あとは一曲くらい踊ってくれれば」
「……」
大したことはしなくていい、と聞いて一瞬でも安堵した自分が愚かだった。
「踊るって言った?」
「言ったわよ」
「俺に?アイクに?」
「どっちも」
「無理があるだろ!?そんなの、やったこと……」
「あら、ワルツくらい踊れた方がモテるわよ?」
あっさりと言い返され、リンクが返答に詰まったところで、
「まぁそこはあまり期待してないけれど、誰かに教えてもらえたらいいわね。
じゃ、私、まだ準備がたくさん残ってるの。
後でお城に来てね。お願いよ」
言いたいことだけ言って、颯爽と踵を返して城へ向かって行ってしまった。
「……」
「……どうする?」
リンクがアイクに目配せする。
「ワルツって……なんだろ?」
「ワルツ……」
意外にも、アイクが口を開く。
「知ってるのか?」
「……」
アイクは考え込んだ後、これだけ言った。
「……たしか、3拍子だ」
「1、2、3…2、2、3…」
フォックスたちの母艦であるグレートフォックス、その内部に設えられたリビングスペース、
そのど真ん中で、リンクとアイクは立ち尽くしていた。
それを傍目に小さな椅子に座ったクリスタルが、指揮棒代わりに指を振りながら拍子を数え、流れる音楽に乗せる。
「二人とも、足を動かさないと始まらないわよ」
固まったまま動かないリンクとアイクに、凛とした響きでクリスタルの激が飛んだ。
そう言われても、どうしていいかさっぱりわからない。
言われるがままにとりあえず立ち姿だけは作ってみた。
リンクとアイク、互いに片手で肩を抱き、もう片手は握り合い、体はつけず、まっすぐに背筋を伸ばす。
これだけでも難しい。
なのに、さらに動けとクリスタルは言う。
動かす必要のない手の扱いに戸惑っているというのに、足まで動かせだなんて。
リンクには無理難題としか思えなかった。
目のやり場だって困っているのだ。
クリスタルに視線をやっても追い返されるし、部屋の奥の長椅子に寝そべったファルコは雑誌に顔をうずめている。
……あれは寝ていると見せかけて、笑いを堪えているんだろう、きっと。
フォックスは留守だった。スリッピーは何かの整備中だとか。
あと目をやるところとなると―――
―――やはり、目の前のアイクしかいない。
だがアイクと目を合わせたところで、何にも始まらないのだ。
アイクはずっとリンクを見据えていた。
でも結局はこちらと同じだ。どうしていいかわかっていない。
彼にできる唯一の事は、ただ目の前の相手を見つめ続けることだ。愚直なまでに。
リンクがそれに倣ったところで、何にも起こりはしない。
こうしてただ立っているだけの間にも、ジュークボックスから音楽だけは流れ続け、部屋の空気に無色の彩りを与えていく。
3拍子。
この音楽をどうやらワルツと呼ぶらしい。
それがわかったところで、その3拍子に何をどう合わせればいいのやら。
「……アイク」
「なんだ」
「どうしてこうなってるんだ」
何もかもわからず、疑問も曖昧なまま、
ついにリンクはアイクにそれをぶつける。
「とりあえず行ってみると言ったのは、お前だろ?」
「躍りを習えるとは思ってなかった」
「……郷に入っては郷に従え、だ」
「何それ?」
「その地のしたきりに従うこと、その地の主に従うこと」
主と聞いて、ちらとクリスタルの顔を見やる。
この部屋、この艦の主はフォックスだ。
だが彼は留守。ファルコはこんな部屋を統べるつもりはないだろうし、やはり主はクリスタルということか。
「……やるしかない?」
「やめるか?」
聞かれて黙して、なんとも答えず、
でもやはりここで引くわけにもいかない。
「郷に従え、ね」
「覚えたか?」
「覚えとく」
都合の良い言葉だなと、記憶しておくことにする。
固い響きのではあるが、意味を考えると、アイクに似合う言葉とは思えなかった。
それなりに覚悟しているということか。いや、諦めているだけか。
「ほら、アイク、貴方が動かないと」
こちらの会話は届いているのかいないのか、
クリスタルがアイクを促す。
頬杖をついて、重たそうなまぶたを少しだけ持ち上げている彼女の表情は、取り巻く音楽と混ざりあって、まるで夢見の面持ちのように見えた。
「どちらでもいいから、一歩、引いてみなさい。リンクはそれに合わせるの」
「合わせる……」
「難しいことは考えなくていいのよ。
二人とも姿勢はとても綺麗。リンクはもっとリラックスしなさい」
「リラックス……」
「深呼吸して」
郷に従え、
リンクは深く息を吸って、吐き出した。
自然と全身の力が抜ける。
「リードするのはアイク。リンク、あなたは身を委ねればいい」
言われた通り、アイクに支えられるままになってみる。
体から余計な強張りが抜けると、思考を妨げていた雑念が消え、腕も随分と楽になった。
目を開けて少し見上げると、アイクもこちらを静かに見下ろしていた。
彼も彼なりに戸惑っているのが、その目からよく伝わってくる。
だがそれはリンクに不安を与える類いのものではなく、むしろその覚悟にこちらも準じようと思わせるものだった。
アイクもリンクがようやくその気になったのを見て取ったか、一呼吸置き、音楽に耳を傾け、
そうしてついに一歩、足を引く。
リンクもアイクに合わせ、一歩前へ出る。
「そう。次にもう片足を揃えるの」
言われるまま、もう一方の足を動かし、引いた足に揃える。
これで元の形に戻る。
「次は音楽に合わせて、3歩」
1、2、3、2、2、3、と
音楽、そしてクリスタルのカウントに合わせて、3回、繰り返す。
「上手じゃない」
クリスタルが満足げに笑う。
「次は前に」
言われるがまま、アイクが動き、リンクが合わせる。
「後」
指示が短くなる。徐々に、3拍子が身体に浸みてゆく。
「前、それから左に」
唐突であっても、不思議なことに自然と足は動いた。
「後、右、繰り返して」
1、2、3、2、2、3、と、
音楽、そして互いの調子を狂わせないよう、慎重に繰り返す。
「考えなくていいのよ」
クリスタルの声が音楽にかぶさる。
「考えたってわからないわ。知らないのだから。感じなさい。感じるままに動けばいいの」
リズムに乗って届く、彼女の助言は、アイクの動きに神経を傾けるリンクの背中を押した。
考えず、相手の動きを感じる、そして思うまま足を運ぶ。
慣れてしまえば、そう難しいことでもない。
「剣を振う時と同じよ」
その通りだった。
「背筋は伸ばしたままで、膝は曲げないように、足下を見ないで、顔は上を向けるの」
クリスタルに言われて気づいて、リンクが顔を上げる。
アイクと目があった。
彼は未だにじっと、こちらを見据え続けている。
一度目が合うと、そのひたむきな眼差しから目を反らすことができなくなる。
深く、蒼く、底の見えぬ瞳の色に、リンクも同じように見つめ返すことしかできない。
長い付き合いだ。
その目に秘めているのは愛だとか情熱だとか、そんな浪漫的なものでは一切ない。
秘めているのは倦怠感、ともすれば絶望感、そして義務感。目の色に現れるのは、それらに由来する没我の心。
これを陶酔と呼ぶのなら、それこそ夢見の心地でお相手しなければならない。
「回ってみたら?」
いきなり言われて、アイクが微かに眉を動かす。
「貴方たちならできそう」
アイクは連続した単調な動きを止めずに、しばし無言で思案しているようだった。
クリスタルも強要するつもりはないようで、それ以上言葉を挟まない。
優雅な三拍子、その曲調が徐々に高まってゆく。酔狂の宴のたけなわが、近づいてくる。
「……」
無意識のうちに、手に力が入っていたようだ。握り返されて気付く。
アイクが向ける眼差しに、躊躇いと気遣いが見えた。
珍しいことだ。彼がこんなふうに戸惑うなんて。
それがためにリンクは決めることができた。
従うのだ。
ここまで来たら、なんでもやってみるしかない。
アイクにもその覚悟は伝わったか、ほんの瞬き一つで、アイクの表情から迷いが消えた。
一歩、左へ踏む。
そして次の足で身を反転させる。ゆっくりと、慎重に。
もう一歩、もう一度。
アイクの動きは大きすぎず、縮こまることもなく、リンクも合わせることができた。
曲は拍をそのままに、重厚さによって盛り上がりを最高潮へと導く。
なんだか踊れると錯覚してしまいそうだ。
だがこの手を放したら、何か、壊してしまいそう、そんな謂れのない不安もある。
リンクも、アイクも、押し寄せる音に流されることのないまま、ただ黙々とターンを繰り返す。
回って、止まって、回って―――
音楽が終わった。
二人の動きも同時に止まり、また始めに立ち尽くしていた形に戻った。
ほんの僅かに鼓動が早まっているのを感じる。
大したことはしていないはずなのだが、互いの手に汗が滲んでいるのがわかった。
「さすがよ、二人とも、とてもよかったわ」
クリスタルが手を合わせて称賛をくれる。
「その感覚を忘れないことね」
言いながら立ち上がって、クリスタルはジュークボックスへと向かった。
「誰と踊ることになるのかわからないけれど、相手が踊れる人ならば、ただ合わせて動いてあげればいいわ。
貴方たちならきっと大丈夫。アイクは今のように支えてあげればいいし、リンクは今してもらったようにしてあげればいい」
「してもらったように?」
リンクは眉をひそめ、アイクの肩越しにクリスタルへと目をやる。
「やったようにじゃなくて?」
「そうよ?あなたが女性をリードするのよ?」
「……」
しばし考え込んで、
「もしかして」
恐る恐る聞いてみる。
「俺、女の子の役だったってこと?」
今度はクリスタルがキョトンとした顔をする。
「気づいてなかったの?」
「なかったよ!」
「ダンスと言えば男女でするものじゃない」
「初めて聞いたし!」
クックッと忍び笑いが耳に届く。
もう、見なくても分かる。ファルコが長椅子のクッションに顔を埋めて笑い転げているのだ。間違いない。
「お前たち……いったい何をしているんだ?」
訝しげな声と共に、真の部屋の主が帰ってくる。
「フォックス、おかえりなさい」
クリスタルが振り向いて、彼を出迎え、フォックスも目でただいまと告げる。
ここでやっとリンクは自分が未だアイクに手を取られたままだと思い出す。
アイクも同じだったか、どちらともなく互いの手を放した。
「もしかして、姫の舞踏会で余興でもやらされるのか?」
「……似たようなものかもな」
アイクは頭をかきながら、手近な椅子に腰を下ろす。
やっと、といった風で、深く息をついた。
「フォックスこそ、どうしたんだ、そのカボチャ」
リンクがフォックスが抱えているものを指す。
「あぁ、姫にもらったんだ」
フォックスが持っていたのは、2つの大きなカボチャだった。
緑色の方が特に大きくて、フォックスの頭ほどもある。もう一つは橙色、こちらは一回り小さいようだ。
「これでうちでもハロウィンができるな」
「あら、嬉しいわ」
クリスタルが寄ってきて、フォックスから緑のカボチャを受け取った。
「たまには料理くらいしないとね」
「クリスタル、君は本当に行かなくていいのか?」
フォックスが少し心配げな顔で聞いた。
「姫の舞踏会はファイターたちの宴でしょう?私はおとなしく待ってるわ」
「そうか……君のドレス姿も見てみたいものだが」
「ふふ、それはまたのお楽しみね」
「フォックスも、城に行くのか?」
リンクが口を挟む。
「もちろん。リンクもアイクも、姫がお待ちかねだったぞ」
「……はぁ」
「なんだ溜息なんてついて。楽しみだろ?美味い飯」
「2人は女性をエスコートする役なんですって」
「あぁ……なるほど」
どうりで、いつにも増して憂鬱そうにしているわけか。
部屋の真ん中で立ったままのリンクと、椅子の背もたれに身を預けきっているアイクとを見渡し、
フォックスは少しだけ同情の念を送った。
「ま、どうにかなるさ」
心ないエールも送りながら、手に残っていた橙色のカボチャをカウンターテーブルの上へと移す。
「クリスタル、俺たちもそろそろ着替えて行ってくる」
「えぇ、楽しんできてね」
「……」
俺たち、という言葉に、部屋の片隅で我関せずと転がっていた背中が反応する。
まさかと思ったその矢先、フォックスが止めに一言、
「ファルコ、お前も行くんだからな」
手の内の雑誌を離すことなく、じろりとフォックスを睨みつけた。
しかしそんな目つきは日常茶飯事、なんとも思わない様子で
「早く着替えろよ」
フォックスは部屋を出て行ってしまった。
「俺たちも行こうか」
リンクがアイクへ呼びかける。
アイクは気怠そうに息をつきながら、しぶしぶ立ち上がる。
「お先に失礼するわ」
「クリスタル、ありがとう」
「またいつでもどうぞ」
「次は生徒じゃなくて、客で来るよ」
クリスタルは意味深長な笑みをリンクに返して、カボチャを手に部屋を出ていく。
アイクもリンクの横を通って入口へと行き、その戸口の脇に立て掛けてあったラグネルを取る。
「じゃ、ファルコ、また後で」
顔も見ずに言ってやり、リンクもアイクの後を追い、部屋を出た。
やっと沈黙を取り戻したリビングスペース、あとはファルコがいつまで黙っていられるかであった。
「なぁ」
「……」
「さっき言ってたやつ、なんだっけ?」
「……郷に従え」
「これもそれで片付ける?」
「………片付けることにする」
アイクの言葉には、まるで覇気という物がなかった。
どうにでもなれといったところか。リンクもそれに倣うことにする。
グレートフォックスを後にし、キノコ城へと来てみると、
待ってましたとばかりに2人とも、キノピオたちにさらわれた。
ピーチ姫の御前へ出されたかと思えば、あれよあれよと言う間に服を剥がれ、着せさせられ―――
「似合ってるじゃないか」
「まるで王子と見紛うかのようだよ、おふたりさん」
賛美を送るのは、なぜか居合わせたルフレとクロム。
彼らの前で、またも立ち尽くすほかない。
リンクもアイクも普段の姿からは想像もできない装いをしていた。
リンクの服は、上下どちらも、紺色の生地に金糸で刺繍の施された、豪華ながらに上品な代物だ。
濃紺の生地には深い光沢があり、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
その襟元や袖口に散りばめられた金の刺繍、そしてあわせに縫い留められたボタン達が、まるで夜空に踊る星のような輝きを添えている。
アイクの方は真っ白の詰襟、その一面に銀の紐飾りがあしらわれている。肩章にも豪華に銀糸が編み込まれ、彼の威厳を引き立たせている。
また右の肩から左の腰へと鮮やかな青色をした帯状の勲章が掛けられ、白の輝きと銀の煌めきに色を添えている。
そんな、煌びやかな格好で突っ立ている2人、まるでお人形さんのようだとリンクは思った。
とはいえ別段不快には感じない。
自分のいつもの格好も、アイクのいつもの格好も、このお城の晩餐会とやらには相応しくないものだろうし、
それにピーチ姫は、これだけ彼らの服装を飾りたてても、靴だけはいつものままにしてくれた。
履き慣れぬ靴ほど心地の落ち着かぬものはないと、姫はきっと知っているのだろう。
だからイヤとは思わない。
ただ疑問に思う。
目の前のもう2人、ルフレとクロム、
彼らと俺らの扱いの違いはいったいなんなんだろうか、と。
「いいじゃない、二人とも」
こっちの心中を知ってか知らずか、ピーチはにこやかに誉めてくれるが、
これも、もうお世辞なのやら本気なのやらわからない。
「とっても素敵よー」
なんて言われても、なんと返せばいいのだろうか。
「アイクはさすが男爵様ってところかしら?」
「なんの話だ」
「爵位持ってたって聞いたわよ」
「……もうそれは置いてきたはずなんだがな」
「もったいないわね」
「俺なんかにやる方が、もったいない」
そう言い捨てて、アイクは姫から目を反らしてしまった。
ピーチもそれ以上言及するのはやめ、今度はリンクへと目を向ける。
「リンクは……なんか足りないわね」
「姫!こちらですよ!」
と、キノピオがトコトコと歩み寄ってくる。
「そうね、クラヴァットね!」
リンクの着替えを手伝っていたキノピオ、彼が持ってきたヒラヒラした物をピーチは受け取り、慣れた手つきで折り畳んでゆく。
着せられたシャツと同じ、艶やかで真っ白な、大きめのスカーフだ。
姫は畳み終えるとリンクの前へと立ち、ほんの少し考えてから、彼の首元へとそれを巻き始めた。
今さらそれを邪魔する理由もなく、リンクは自然とあごを上げる形になる。
横目で見れば、アイクも何かされているようだ。
キノピオがクロムの助けを借りてアイクの胸元をいじっている。
終わってキノピオがクロムの腕からひょいと降りると、アイクの胸にそれまでなかった赤い宝玉が飾られていた。
「はい、出来上がり」
と、ピーチもリンクから離れる。
リンクの胸の上に、スカーフが3つに折り重なってふんわりと提げられていた。
首元の結び目には明るい緑色の宝石が留められ、柔らかい光を湛えている。
(……高そう)
うっかり声に出しかけるも、
「ピーチ姫ー!こちらもできましたわー」
隣の部屋からだろう、閉じた扉の奥から、女性の声が聞こえてきた。
「こんな格好で……おかしくありませんか!?」
「とってもお似合いですよ」
「で、でも……っ」
先程の声はどうやらロゼッタのようだ。そしてもう1人、ルキナの声も聞こえてくる。
ルキナの声を聴いたことで、ようやくルフレたちが居るわけを悟った。
「きっとお父上も喜ばれますよ」
「え!?お父様、いらしてる……?」
「早くお見せしてあげましょう?」
「い、いやいやいや!まだ心の準備が……っ!」
ルキナの抗議もむなしく、奥の扉は簡単に開いてしまった。
「お」
「おぉ」
ルフレもクロムも、揃って感嘆の声を上げた。他の皆も各々に驚きの表情を浮かべる。
ルキナはいつもの凛々しい姿から一転、とても華やかで可愛らしい姿で現れた。
彼女の身を包んでいるのは、山吹色のドレス。
スカートには檸檬、向日葵、蜜柑、紅葉といった彩が幾重にも重なり、着ている者の動きに合わせてふわりと揺れる。
だが全体のシルエットはすっきりとしていて、細身のルキナにはよく似合っている。
胸元には黄金色の大きな薔薇が花開いていた。
その花の影で、ルキナは頬を赤らめて、恥じらいの表情をこちらへと向ける。
「お、お父様……」
「ルキナ、とても素敵だ」
クロムの言葉は、嘘や繕いなどまるで無縁な真っ直ぐな言葉だった。
隣でルフレも同じ眼差しを送っている。
「明るい色がよく似合いますわ」
共に出てきたロゼッタはというと、形こそいつものシンプルなドレスと同じだったが、
今日は深い紅色のドレスを着ていた。裾に光る不思議な星の模様がいつもよりはっきりとした輝きを放っている。
「ロゼッタ、お手伝いありがとう」
ピーチに言われ、ロゼッタは笑顔で恭しい会釈を返す。
「こっちも準備できましたよー」
「できたよー」
「にゃー」
と、また他の扉から、今度はネスとトゥーンリンク、そしてヨッシーが出てくる。
こっちはおめかしと言うより仮装のようだ。
2人ともお揃いの黒のタキシードのようだが、ネスは黒くて長いマントを羽織り、リンクには猫の耳としっぽがついている。
ヨッシーはというと、頭にちょこんとカボチャを乗せている。オレンジ色で、きちんと目鼻口がくり抜かれたカボチャだ。
「兄ちゃんたち、それ、正装?仮装?」
「知るか」
リンクのそっけない答えに、ネスもトゥーンリンクもけらけらと笑った。
「姫、ぼくたちこれで行ってきていい?」
「えぇ。これも持っていきなさいな」
言って、姫は2人に大きなカボチャをかたどったバスケットを手渡した。
中には色とりどりのお菓子が詰まっている。
「みんなに配ってあげてね」
『はーい』
良い子の手が2人分挙げられる。
「はい、あなたにも」
「え……俺にもか??」
ピーチはもう1つ、カボチャを出して、クロムの目の前に突き出した。ネスたちに渡したのより一回り大きい。
「い、いやぁ俺は」
「ルキナ見送って帰るつもりだったでしょ?そうはさせないんだから」
姫は全てお見通しのようだ。
唐突な事にクロムもたじろいで、リンクやアイクに目で助けを求めるも、どちらからも諦めろ、言わんとばかりに首を振られてしまう。
「ルフレさんは、わたしがご案内しますねー!」
と、こちらにも逃げる間を与えず、ヨッシーがルフレの腕を掴む。
「へ?」
「ご馳走いーっぱいありますからねーー」
「ちょ、え?俺?」
名軍師と言えど、これでは策を立ててる暇もない。
ヨッシーは、半ば引きずるようにルフレを連れ、脇目も振らずに城の大広間へと続く扉へ向かって行き、
誰の抗議も受ける間もなく、バタンッという音と共にその先へ消えてしまった。
「……元気でいいことだな」
「ほらほら、クロムさんも早く!」
「ヨッシーに全部食べられちゃうよ」
遊び盛りの少年たちがヨッシーに続けとばかりに扉へと駆け寄る。
クロムも観念したようについていき、2人のために扉を開けた。
歓声と共に飛び出して行くのを追って、広間へと消えた。
「にぎやかだね」
と、すれ違いでまた来客が現れる。
「……で、君たちは遊ばれてる方?」
投げられた言葉に、アイクもリンクも、もはや返すのものは何もない。
「マルス、いらっしゃい」
ピーチの歓迎の挨拶に、マルスは丁寧に頭を垂れた。
「お連れしましたよ、姫」
『おじゃまします!』
マルスの後からさらに二人、姿を現した。
スポーツウェアを纏った男女の二人組、WiiFitトレーナーと呼ばれる人たちだ。
「お招き頂き光栄です」
「今日は楽しんでいってくださいね」
「ありがとうございます」
対外的な挨拶を交わす様子から、2人とも幾分か緊張しているのが見てとれた。
「さぁ、こちらへどうぞ」
「いいんですか?服まで貸していただけるなんて」
「私が好きでやっているんだもの、気にしないで。マルス、手伝ってくれる?」
「喜んで」
「あなたも何か着替える?」
「姫にお許し戴けるなら、このままでいいかな」
「私はかまわないわよ」
ピーチの返事にマルスはにこりと笑うと、トレーナーの男性を隣の部屋へと案内する。
「リンク!アイク!
ルキナとロゼッタを頼んだわよ」
「え?」
「……」
リンクが慌ててピーチを見やるも、すでに遅かった。
ピーチはトレーナーの女性と共に、奥の部屋へと引っ込んでしまう。
「頼んだって……何を?」
「エスコート、だろ」
アイクは端的に答えると、ロゼッタへと向き直り、その前へと進み出た。
やや表情が堅いが、それでもアイクは精一杯恭しく、ロゼッタへ手を差し伸べる。
ロゼッタの方も顔に緊張が見てとれるが、彼に対して丁寧にお辞儀をし、差し出された手を取った。
「よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
愛想も外連味もなく言葉を交わし、2人並んで扉へと向かう。
すれ違いざま、アイクはリンクに視線を投げてきたが、そこにも何も見いだせなかった。
互いに手を取り静かに歩み、アイクが引いた扉の奥へとロゼッタは進み、アイクもそのあとに続く。
扉の閉じる音も静かなものだった。
(……ドウシヨウ)
気付けばルキナと二人きりだ。これだけの時間があっても、いまだに身の振り方がわからない。
しかもお相手は一国の王女。
ルキナは誰に対しても丁寧で、気取ったところを見せたりなどしないし、自分の身分を振りかざしたりもしない。
だから、リンクも彼女に対して畏怖の念を抱いたりしないし、恐縮する必要なんて感じたことはなかった。
だがそれはあくまでも、同じ参戦者として、闘う相手として対峙している場合の話であって、
こうも可憐に彩られたルキナ王女の前に立たされると、
まるでどうしていいのやら―――
「……リンク…さん?」
「!」
呼びかけられて、はたと気付く。ルキナがこちらを向いていた。
その顔は、恥じらいと、戸惑いと、ためらい、それらがないまぜになってしまっている顔だった。
(考えても、わからないんだったな)
ただ1つ確かに感じたのは、彼女にこんな顔は似合わない、ということ。
リンクはルキナの瞳を見据えると、つかとその前へ歩み出た。
そして片膝を折って跪き、頭を垂れる。
アイクみたいに、礼儀も知らぬまま堂々と手を差し伸べるなんて、リンクにはできそうになかった。
だったら、自分の知る限りもっとも恭しい仕草で彼女に対するしかない。
まるで王宮の騎士が女王にする最上の敬礼のように厳かな挨拶、ルキナは多少驚いた様子を見せる。
だが気にしていられない。
「ルキナ」
顔を上げて、しっかりと彼女の目を捉える。
「俺、こういうの、全然わからないんだけど……
ご一緒させていただいても、よろしいでしょうか?」
ルキナは目を丸くして瞬いていたが、
「い、いえ!喜んでっ!」
顔を赤らめながら、両の手でスカートをつまみ、
「喜んで、ご一緒させていただきます」
彼女も精一杯に、王女らしい挨拶を返す。
顔を上げて再び目を合わせると、2人からやっと笑みがこぼれた。
リンクは立ち上がって、ようやくルキナに手を差し伸べる。ルキナもこれを取った。
共に連れ立って、扉へと向かう。
「ルキナは、こういうの慣れてるんだよね?」
「そう……ですね。でも、久しぶりです、すごく。リンクさんは?」
「俺?俺は初めてだよ」
「初めて?」
「城にだってほとんど行ったことないんだ」
「……王宮の衛士とか、そういうのされていたのかと思ってました」
「まさか!片田舎で山羊の世話してるよ」
「そうだったんですか……」
「がっかりした?」
「!そんな、とんでもないっ!」
慌てて首を振るルキナに、冗談めかして笑ってみせる。
……振る舞いなんぞはどうであれ、笑顔なら、アイクよりはマシなはずだ。
「開けるよ」
リンクが扉に手をかける。
少しまた緊張気味の顔をするルキナ、なぜかはわからない。
リンクはもう、この先に待っているもののことなど考えようとは思っていなかった。
ただ、美味しい食事はあるはずだ。それだけは確か。
もう一度、ルキナに笑いかけて、扉を引いた。
「わぁ……」
扉をくぐって、ルキナは溜息のように歓声を上げた。
リンクも後に続き、思わず辺りを見回す。
そこは立派な広間だった。
果てなく広いような部屋ではないが、代わりに天井が高く、開放的な印象を持った。
提げられたシャンデリアは天面いっぱいに広がって、まるで大樹の枝葉のようにも見える。
壮観なのは照明だけでない。
広間にはすでに大勢の者たちが集っており、ある者は端に並んだテーブルの料理を吟味し、ある者はゆったりと飲み物を嗜んでいる。
しかし、大多数の者が、広く空けられた広間の中央にて、踊っていた。
彼らの奥には少し高くなったステージが設けられ、キノピオたちが優雅な音楽を奏でている。
3拍子だ。
「……ルキナは、踊れるの?」
「はい。小さい頃にやったきり、ですけれど」
広間の入り口で佇む2人、その前を、サムスとボクサーのマックがステップを踏みながら通り過ぎた。
スレンダーなブルーのドレス姿のサムスに、タキシードを被せられたマックはたじろぎ気味の様子だ。
彼らの去った方から今度はピカチュウが、むらびとの少年と現れ、楽しそうに組んで踊り回る。
皆、音楽のテンポに合わせて、好き勝手に体を動かしている。
「皆さん、楽しそう」
「ルキナも踊る?」
「え?」
「俺でよければ、お相手するけれど……」
言ったものの、急に自信はなくなって、言葉にも表れてしまう。
視界の隅に、白い衣装のアイクの姿が入り込む。
ロゼッタの踊りは見事なものだ。彼女が回る度に、赤いドレスが煌めく。
楽しそうに舞う彼女に、アイクは従順に付き従い、支えていた。
……やればなんとかなるもの、なのだろうか?
「こちらこそ」
と、ルキナが顔を上げた。
「私でよければ、お相手、していただけますか?」
「!も、もちろん……!」
リンクの返事にルキナは微笑んで、
そして彼の前へと、一歩、進み出た。
リンクがルキナの右手を取り、肩ほどに上げる。
(……アイクのやってたように)
懸命に思い出しながら、もう片方の腕を彼女の背へと回した。
あくまで、支えるだけ。
ルキナもリンクの肩へと左手を添える。……どうやら、間違ってはいなさそうだ。
小さく息を吐いて、体から力を抜いた。
「……ごめん、ルキナ」
「?」
「やっぱりどう動いたらいいか、わからない」
正直に吐露すると、ルキナはふふっと笑って、
「私が動きます。大丈夫です」
そう言ってくれた。やはり頼りになる女性だ。
もう何も考えない方がいいだろう。とにかくルキナの動きに合わせることに意識を傾ける。
音楽に耳を澄ます。3拍子を身に入れる。
やがて、ルキナが動いた。
流れるような動きで広間の中央を目指す。
ある程度進んで、人が多くないところを見つけると、ルキナはそこに留まり、静かにステップを踏み始めた。。
これまで会話の節々から、リンクがダンスに関して本当に何の経験も持っていないことを汲み取ってくれたようだ。
足の運びを単調に、ゆっくりにしてくれているのがわかった。
クリスタルの前でやらされたのとはまるで違う動きだが、それでもリンクはルキナについていくことができた。
ゆったりとした動きが、雅な調べにのって、穏やかな時間を流れてゆく。
リンクは身を固くしないこと、そしてあまり深く考えないことに気を配りながら、ルキナの動きを感じとろうとしていた。
「そんなに、気を張らなくても大丈夫ですよ?」
ルキナに言われてしまった。見やると、彼女は優しく笑う。
リンクは苦笑を返すしかない。
「リンクさん、あちらの方はどなたですか?」
「誰の事?」
「パルテナ様のお相手をなさっている……」
「あぁ、あれ、ファルコンだよ」
「……え?」
ルキナが思わず、リンクの肩越しに見える男女のペアを凝視する。
長い若草色の髪と純白の女神の装束は、彼らの主が大きく速くその身を動かす度、ひらりひらりと光と共に舞い踊る。
優雅かつ豪快なパルテナの舞踏、その相棒は、黒いシンプルなタキシードを纏ったファルコンだった。
めったに見せない素顔を晒し、彼は礼儀正しく、そして力強く、女神を支えていた。
「ルキナ、初めて見た?ファルコンの素顔」
「お、思ってもみませんでした……」
「?」
「あの方が、その、仮面を外すだなんて」
「ほんのたまにしか見られないけどね」
あんなに激しいレースで頂点に立つ者だというのに、彼はこういった、ある意味では閉塞的とも言える物事を嫌ったりはしないようで、
むしろ限られた空間、制約ある事柄を楽しむことができる人物らしかった。
今日も姫に礼節を尽くすためならば、正装し、メットを取って然るべきと思っているのだろう。
「ルキナ?」
リンクが思わず声を掛けた。
ルキナの表情が沈んでいる。動きにもそれが表れてしまっている。
「あ……、すいません」
「どうかした?」
「いえ……」
ルキナは少しうつむき加減に
「私、まだ、何にもわかってないんだな、って」
ぽつりぽつりと呟くように、言葉を吐き出した。
「知らないことばかりで、わからないことばかりで……」
「……不安?」
ルキナは否定も肯定もせず、ただ下を向くばかり。
いつもなら、懸命に首を振って、前を見ているだろうに。
「ルキナ、もっと踊ってみよう?」
「え?」
ルキナが顔を上げ、理解できぬ言葉を聞いたかような目で、リンクを見やる。
足下も一瞬、踊るのを忘れたかのようになったので、リンクはどうにかそれを支え、笑って見せる。
「知らないことは、考えてもわからないんだって」
リンクは拙いステップでルキナをリードしながら、言葉を続ける。
「踊りを教えてもらった時に、そう言われたんだ。
言われて、やってみて、今どうにかルキナの相手をさせてもらえてる。どうにかなってる」
流れる調べに身を任せると、声も音楽のように流れてゆく。流れて届いて、ルキナを包む。
「だからルキナも、そんなに悩まなくっても大丈夫じゃないかと思う。
俺もできるだけついていくから、今日くらい、好きに踊ってみたらどうかな?」
ルキナは目を閉じて、言葉をよく噛み締めているようだった。
再びリンクの瞳を見つめるときには、それまで湛えていた不安げな表情が、少しは薄れていた。
リンクが小さく頷くと、それまでの遠慮を捨て、ルキナは大きく一歩を踏み出した。
広間に染みた三拍子にのって、まるで渓谷の風に舞う花びらのように、流暢な足さばきを披露する。
ステップこそ簡単で単調なままで、リンクでもなんとか真似できるものだったが、
ルキナの躍りは徐々にその動きを膨らませて行く。
他の者たちも踊っている限られた空間の中で、恐縮の色を見せず、彼女は上手に足を運ぶ位置を見定めてゆく。
緩やかに、少しずつターンを交え始めると、山吹色のスカートもひらりひらりと共に舞い始める。
音楽は優雅に、華麗に、愛らしく、ルキナの舞いと調和する。
リンクはついていくので精一杯だったが、ルキナとの距離と力加減だけは保つよう、気を払った。他のことは考えない。
ただ彼女の動きを感じて、それに合わせるだけ。
2人の動きに合わせて、世界は回った。
移る景色、ゆっくりなはずなのに、目まぐるしく変化しているようにも思える。
隣をファルコンとパルテナ様が回りながら通る。
足下をプリンがひらりとすり抜け、ゲッコウガは煙となって消える。
ルフレが誰かと踊っている。ネスたちの笑い声が聞こえる。マックの腕の中でサムスのドレスがそよぐ―――
気を抜いたら、そんな忙しない情景に振り回されるのではないかと思え、一層緊張感は増し、集中力を保つのは難儀なことだった。
だがルキナの方は、何も目に入ってきていないかのように、ただひたすら舞い続ける。
まさに陶酔していると言っていい。
ワルツのテンポ、三拍子が、早くなってきているように思えた。
錯覚ではない。
そう確信したとき、ふと、ルキナと目が合う。
マルスにもアイクにも似た、強い意志を秘めた青い瞳は、確かにこちらを捉えていた。
その目の光にリンクは何かを感じ取った。
そして刹那、彼女の背に回した腕を浮かせる。握っていた彼女の右手を解き放つ。
パッとルキナはリンクから離れた。
そして、その場でスピンをして見せる。くるくる、くるくる、と。
音楽は最高潮を迎えていた。
速いリズム、急流のような弦楽、そこに跳ねる鼓笛、舞うのは花、溢れる光―――
ルキナの黄色のドレスはまさに大輪の花のように咲き、広間中の光を集めて輝いている。
彼女の長い髪も共に綺麗な円を描く。
全てが彼女の為に動き、奏で、歌っているかのように思えた。
―――と、見惚れて立ち尽くしてしまうも、再び彼女と目が合うと、
咄嗟にリンクは左手を伸ばした。
ルキナはしかとその手を掴む。それを感じてリンクが即座に手を引く。躊躇なく、思い切り引き寄せた。
全ての楽器が同時に止む。
ルキナはリンクの腕の中に戻っており、その目を見上げていた。息が少し上がっている。
リンクも同じことだ。ルキナと共に息を整える。
しばしの間、2人の耳には、部屋中を埋める拍手の音だけが非現実的に響きわたった。
バンッ
それまでの雰囲気にはまるで似合わぬ機械的な大きな音がして、
あっという間に広間は暗闇に包まれた。突然の異変に、辺りがざわめく。
だがそれが騒ぎとなる前に、天井の明りが再び灯った。
先程までの眩いばかりの光ではなくて、ぽうっとした、蛍の放つような光。しかも色が緑色で、怪しげなことこの上ない。
皆が気付いて天井を見上げていると、そこに、星々が浮かび上がる。
漂っていた不安のさざめきが、歓声へと変わっていくのがわかった。
一つ、二つ、徐々に勢いを増して、緑の小さな光が天井を埋め尽くす。
普通の夜空ではけっして見ることのできない、幻想的な碧色の星空が出来上がっていた。
誰もが魅入られているうちに、身の回りでも変化は起きる。
部屋のテーブルに飾られたカボチャたちが目を覚まし、明るく輝きだした。
卓上と壁面に適度に添えられた燭台の明りも手伝って、並べられたご馳走たちを暗闇の中からすくいあげ、浮だたせる。
美味しそうな料理の皿が、さらにその魅力を増した。いつのまにか、量も種類もまた随分と増えているようだ。
どこからか、重量感に溢れる打楽器の音が、リズムを刻み始めた。
力強くも軽快なその響きが皆の胸まで震わせる。
バッ、と眩いスポットライトに一瞬目をくらまされた、かと思えば、
それまでキノピオの楽団が居たところに、新たなステージが姿を現す。
「レディース&ジェントルメン」
中央に立つは、もちろん我らがマリオ。
「みんな!楽しんでるかい?」
彼の呼びかけに、リンクとルキナはただ見とれるばかりだったが、そこら中からは思い思いの返事が上がる。
マリオもまた、奇抜な衣装を着ていた。赤と白のストライプ柄の上下に、同じ柄のシルクハット。
その後ろではドンキーコングが、大小様々なドラムを並べ、ビートを刻んでいる。
いつもとは違う、黒いネクタイをして、左目に大きな黒い星のペイントを施していた。
ドンキーの背後の壁には巨大な蝙蝠の羽が飾られ、まるで彼のものであるかのようだ。
2人の左右にもう2人、ソニックとパックマンが控えていた。彼らの装いは普段と変わっていない。ただ手足がピカピカと光っている。
ソニックはサックスを手にし、パックマンはピアノの前、出番を今かと待ちわびている。
「先に紹介するよ!今日の装置は彼らのおかげだ」
マリオの台詞に合わせ、左手側の広間の一角にスポットライトが当たる。
照らされたのは、片隅でグラスを傾けていたフォックス、そしてファルコ。
フォーマルなスーツを着た2人は、どちらも少し驚いたように肩を竦ませたが、
皆からの拍手を受けると、フォックスははにかんで手を振り返し、ファルコも投げやりに片手を上げた。
「OK!Let's GO!!まだまだ夜は長いよ!!」
マリオの合図で、待ってましたとパックマンがピアノを叩き始める。
ソニックのサックスが唸り、ドンキーのドラムが猛る。
マリオも足下からトロンボーンを拾い上げると、高らかに奏で始めた。
「リンクさん……」
隣から、ルキナが独り言のように、こちらの名を呼ぶ。
見ればその顔は、暗闇の中で仄かに照らされ、不思議な表情を浮かべていた。
「どうしよう」
「え?」
リンクが声をあげると、彼女はぱっとこちらに顔を向け、
「どうしよう、私……すごく、楽しい」
まるで助けを求めるように、そんなことを言ってきた。
面喰ってルキナの顔を見つめてしまうが、リンクはすっと笑顔に戻って、
「まだまだ、夜はこれからだよ」
と言ってやる。
やっと、ルキナは顔をほころばせ、
「はい!」
満面の笑みをその顔に湛えた。
「ルキナ、おまたせ」
「!マルス様っ」
そこへマルスが現れる。
「待たせてたのか?」
「待ち合わせはしてないけれど」
リンクが聞いても、マルスはしれっと適当なことを言う。
「次は僕にお相手させていただけるかな?」
「光栄です!」
「リンク、邪魔して悪いね」
「全然」
その言葉に偽りはない。マルスとならきっと、ルキナももっと自由に踊れるはずだ。
それに、そろそろ食べ物の方が気になって―――
「あら、リンク」
と、邪魔が入る。
「手隙になったようですね。私の相手をお願いしても?」
聞かなかったことにしたいところだが、そうもいきそうにない。
すでに女神パルテナはリンクのすぐ後ろに迫っている。
「いや、パルテナ様のお相手はちょっと」
「大丈夫ですよー」
「絶対大丈夫じゃない!」
もう礼儀も捨てて力いっぱい拒否してみるも、女神はまるで聞く耳を持ってくれない。
「ファルコン!?」
思い出して目を走らせると、その者はもう遠く、ご馳走の並ぶテーブルに行ってしまっていた。
腹立たしいことに、食べかけの美味しそうなリンゴを持ったまま、こちらへ向かって手を振っている。
(……押し付けられた)
「何か失礼なこと考えてますね」
「っ!!」
「まぁ今夜は無礼講ということにします。いきましょー」
パルテナはリンクの手を引いて、颯爽と広間へ躍り出た。
夜は長い、
そう自ら言ったが、想定以上の長さになりそうだ。
「はぁぁぁ……」
随分と長い時間をかけて、ようやく城を抜け出したリンクは、
中の宴に匹敵するほど盛大な溜息をついた。
「……疲れた」
城壁に背をもたれさせて、そのまま芝生の上に座り込む。
中が薄暗かったせいか、晴れ渡る青い空がとても眩しい。
「……お前、いつからここにいるんだよ」
頭を垂れたまま、リンクは横目で、先客を見やった。
先客、アイクは答えない。
手にした肉を口に頬張って、ただもぐもぐと食べている。
「どんだけ持ってきてるんだ」
大きな皿に、肉ばっかりが山盛りになっていた。
よくみると同じ大きさの皿がすでに空になって放られている。
「中じゃゆっくり食べられないからな」
それだけ答えて、アイクはまた次の肉に手を伸ばす。
「それはそうだけど」
呆れた様子のリンクの前に、アイクが骨付き肉を一本突き出す。
まったく愛想の欠片も見当たらないが、リンクはこれを受け取り、ありがたく口へと運んだ。
「どうだったんだ?」
「何が」
「踊り」
「見てただろ?酷いもんだった」
「そうか」
「そうかって……お前はどうなんだよ」
「……よくわからん」
「あ、そ」
いつもにも増して素っ気ない受け答えだ。
リンクはそれ以上何も言わず、アイクに倣って黙々と肉をかじる。
溢れる音楽と大勢の客の喧騒に振り回されて擦り減った心身に、肉の旨味はじんわりと染みてゆく。
そよぐ風とそそぐ陽光を感じながら、リンクはゆっくりとそれを噛みしめた。
「2人だけ、遠足みたいですね……」
声を掛けられ、2人してその方を見やる。
城から出てきたのはシュルクだった。
「……その服どうしたの?」
シュルクはいつもと同じ服のようだが、その色は淡い薄紫色で、元の紅色の服とは受ける印象がだいぶ違った。
「舞踏会呼ばれたって言ったら、ダンバンさんが、せめて一番礼儀知ってそうな人の服で行けって」
「意味わかんない」
リンクに一蹴されて、シュルクは乾いた笑いをあげる。
「何かあったか?」
アイクがやっと食べる手を止める。
その視線の意味に気付き、リンクもそちらを見やる。
シュルクの手には、モナドがしっかりと握られていた。
「ピーチ姫から、2人に伝言ですよ」
シュルクは笑顔のままで2人に告げる。
「今から不躾なお客がたくさん来るから、丁重にお迎えしてね、と」
リンクとアイクは共に深く息をついた。
「抜け出してるのもお見通し、か」
「あの人にはいつまでも勝てる気がしないな」
リンクは言って、手の甲で口を拭った。
「おもちゃを片付けた人からお城に入れていいって言われたんだけど、何のことだろう?」
「おもちゃ?」
「あれのことだろ」
アイクの言葉に、リンクとシュルクはその視線の先を追った。
城の前に広がる青い空、そこに、黒い影がいくつも現れていた。みるみるうちに大きくなっている。
「……玩具、ね」
「玩具か」
「おもちゃ……」
三人三様、姿を現した客たちをまじまじと観察した。
相手は8人。
賑やかな雄たけびを上げながら迫ってくるは、クッパの手下の7人衆、そしてクッパJr.
パタパタと軽い音を立てて空を飛んでいる彼らご自慢の乗り物は、たしかに玩具だ。
「……シュルク?」
「あの機械、一個もらえないかな?」
「まぁ、拾っても、いいんじゃない?」
「やった!」
「全員片付けたらな」
目をキラキラさせてモナドを構えるシュルクの後ろで、
アイクが立ち上がって、きっちり留められた首元のボタンを緩める。
「さすが、着慣れてる?」
「馬鹿を言うな、脱ぎ慣れてるんだ」
綺麗に着せられてた立派な服が、胸元まで乱されて、いくらかは動きやすそうになったようだ。
アイクは両の拳を握って胸の前で打ち合わせた。
剣を取りに戻る暇はない。
「これだけ持ってきといてよかった」
と、リンクはどこからか、ブーメランを取り出した。
「持ってたのか?」
「クローショットと悩んだんだけど、ま、当りだったみたいだな」
軽く手のひらで打ち付けてみて、その感触を確かめる。
「アイク」
「なんだ」
「今度はお前が合わせる番な」
「……わかった」
簡潔な意思疎通、だが2人にはこれで充分だ。
「シュルクは適当に、暇そうなの相手してやって」
「え?」
「モナドあるんだから、どうにでもなるだでしょ」
「ん……まぁ、そう、かなぁ?」
自信はなさそうだが、
幸い、コクッパどもは手下の軍団は連れていないようだし、彼の能力を考えれば、無茶な話でもないはずだ。
「おもちゃ残すのはこっちでやってあげるからさ」
「え!それはありがたいです!」
話しているうちに、3人の前、少し見上げる高さの空に、お客どもがずらりと横に並んだ。
「あれ?マリオいないのか」
「マリオは忙しいんだ」
「ふーん。ま、誰でもいいんだけどナ!」
クッパJr.が生意気な口を叩く。
「誰でもいいから」
『菓子をよこせぇっ!!!』
8人が同時に吠える。
それを合図に、てんでバラバラに散って、攻撃の態勢を取るコクッパども。
リンクもアイクも、それぞれに抗戦の動作を取りながら、思わずにやりと笑ってしまう。
やっぱり、こういう”もてなし”の方が自分たちの性には合っている。
リンクは適当に狙いをつけて、ブーメランを投げつける。
それと同時に、アイクが地を蹴った。
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