マルスがネスと共に辿り着いた地は、空が緋色に輝く地だった。
      美しい夕焼けに、白と黒で成された霊妙な造詣の建物が、あるところは燃えるように、あるところは潜むように、照らされていた。
      ……てっきり、また戦場か、マジカントか、もしくはひまわり畑に行くものだとばかり思っていたのだが。
      自分たちが立ったのは、風、雲、城と呼んで良いかと思われる建物、全て、見たことのない未知の世界だった。
      そして今、夕焼けに黒々と浮かび、闘志に赤々と燃えているその男も、まったく見たことのない者。
      白い衣を逞しい肉体に纏わせ、黒く短い頭髪に真っ赤な鉢巻きを巻いている。
      その凛々しくも猛々しい瞳には、何者にも折れぬ強き意思の光を宿している。
      そして何より、彼の放つ闘気、それは静の状態にも関わらず、こちらを圧倒する、凄まじい気だ。
      あまりの存在感に、皆、はっきりいって気圧されてしまっていた。
      
      風が鳴る。
      ついに、沈黙が破られた。
      
      
      「俺は」
      
      
      声は重圧をもって発される。
      
      
      「俺より強いやつに、会いに来た」
      
      
      風が吹き、空気を震わせた。
      
      
      「……」
      「ネス」
      
      
      マルスはなんとか声を絞り出す。
      
      
      「……誰?」
      「……さぁ」
      
      
      ネスもやっと一言、返してくれた。
      
      
      「なんで皆あの人知らないッスか!」
      
      
      やたらと熱く憤るのは、リトル・マック、その人だ。
      
      
      「マリオさんとおんなじくらい有名な人ですよ?」
      
      
      そう言われても、知らないものは知らないんだから仕方がない。
      
      
      「あの伝説の格闘家、真の求道者であるリュウさんと拳を交える……日本男児、いや、世界中の漢の誉れッス!」
      
      
      もう、意味がわからない。
      たぶん自分はその『世界中のオトコ』とやらに入っていないのだろう。
      
      
      「……リュカを迎えにきたんじゃなかったかな、僕たち」
      「……ぼくは少なくともそのつもりだったんだけど」
      
      
      言いながら、ネスはちらりと横目をやった。マルスもならう。
      2人の隣にはアイクが立っている。見た目はいつも通り冷静を保った立ち姿、だがその胸中には、マック、そして目の前の彼に負けぬほどの熱狂を湛えていることだろう。
      しかしネスが見やったのは、その足下。
      そこでは小さなリンクが大きな瞳で白き衣の闘士を睨んでいた。
      睨んではいるけれど、口は曲がっているし、右手はギュッとアイクの服を握りしめてしまっている。
      そしてその反対側では、それ以上に小さなリュカが、完全にアイクにしがみついていた。
      
      
      「リュカ、闘いに戻ってきたんじゃないの?」
      「だって……知らない人、怖いよ……」
      
      
      ネスの問いに、リュカは震える声で答えた。
      
      
      「アイクも君と闘いに来たはずなんだよ?……そうだよね?」
      「俺は相手が誰だろうがかまわん」
      
      
      マルスの問いに、低く唸るような声でアイクが返す。そこには静かなる覇気が籠っている。
      
      
      「全力で行くだけだ。あいつにも、お前にも」
      
      
      アイクが鋭い視線でリュカを射ると、リュカはいっそう身を縮め込めてしまった。
      乱闘の参戦者らしからぬリュカの様子に、マルスは思わず笑顔を向けた。
      まったく、変わっていない。リュカはこうでいてくれた方がほっとする。
      この子が、小さくて引っ込み思案なこの子が、そこも含めて優秀な参戦者であることをマルスはよく知っていた。
      アイクだって、リュカはただの臆病者なんかじゃなくって、自分と対等に闘える者だと思っているからこそ、この子をこのまま、己の脚にしがみつかせていられるのだ。
      この紛れもない事実は、今はまだリュカを眼中に納めてすらいないマックにだって、じきに知れることとなる。
      
      
      「そういやマック、君はなんでここに?」
      
      
      マルスがふと思って尋ねる。
      
      
      「皆、リュカを迎えに来てるんだけど……あの人が来るって知ってたのかい?」
      「はい」
      
      
      マックが真面目に答えを返す。
      
      
      「ネットで知ったッス」
      「ネット……?」
      「wii-fitのトレーニングルームに、トレーナーさんの知識とシュルク君の技術で、新しい情報源を構築したんですよ」
      「あれ、便利だよねー」
      「え、ネスも知ってるの?」
      「あんまり好き勝手使えないんだけどさ」
      「そうそう、使えるのは、トレーナーさんたちがいる時だけって約束なんで」
      「どうして?」
      「便利すぎるから、って言ってたッス」
      「ぼくたち子供や、それに異界の人にとっては、危険でもある物、なんだって」
      
      
      ネスの言葉を吟味してみる。恐らく、情報過多による弊害のことを指しているのだろう。
      ……益々興味が湧いてきた。あとでさっそく調べにいってみることにしよう。マスターにばれて撤去される、その前に。
      
      
      「またそーやって良くないこと考えてるんですか」
      「良くないことを考えているつもりはない。その方向にいく可能性は視野に入れてるけど」
      「相変わらず、って感じですね」
      「誉め言葉かい、それ」
      「もちろん、誉め言葉ですよ、先輩」
      
      
      マルスは自身を『先輩』と呼んだ者に目を向けた。
      
      
      「で、君はいつからそこに?」
      「ずっと居ますよ、皆が来た時から」
      「何しに来たの」
      「闘いに来たんですって」
      
      
      帰ってくる模範解答、マルスは、相変わらず優等生なロイに、冷めた笑いを贈った。
      
      
      「もうあんまりやる気ないんだけどな、僕」
      「あー、いるよね、暑苦しい空気の横で冷めちゃう人」
      
      
      ネスがマルスの萎えた気持ちに同情を示す。
      
      
      「心配するな」
      
      
      と、アイクがロイに言葉を投げ放つ。
      
      
      「あんたにも後で相手してもらうからな、先輩」
      
      
      ろくに顔も見やしない。
      彼の口から出る『先輩』という呼び名には、敬意など微塵も含まれていた試しがないのだ。
      当然、返事を待つこともなく、アイクは大剣を握りしめ、歩み出る。
      ロイがげんなりと溜息を吐いた。
      
      
      「剣か」
      
      
      新顔、リュウといったか、彼が呟く。
      
      
      「男なら、拳で語るべきではないのか」
      「あいにくと、俺は、これしかない」
      
      
      リュウの気迫にまったく動じず、アイクは自信に満ちた答えを返す。
      
      
      「この剣こそが、俺の拳だ」
      
      
      岩とも山とも思わせるアイクの答えに、リュウは満足したらしかった。
      彼は、静かに闘気を高め、そして、ひとつ、それはそれは重い踏み込みをもって、半身に構えた。
      
      
      「……僕、帰ろうかな」
      「あ、それ賛成!」
      
      
      ロイのぼやきに、アイクに置いていかれたリンクがつぶらな瞳を向ける。
      リュカも同じく小さく何度も首を縦に振る。
      
      
      「いいよ、帰っても」
      
      
      マルスは3人に言い放った。
      
      
      「ただし、僕の得点として、ね」
      
      
      彼らが冷や汗を流したのがわかった。まだこちらは剣も抜いていないというのに。
      
      
      「あの人強そうだから、1人2点ずつもらおうかな」
      
      
      止めに言い足すと、リンクは慌てて剣を抜く。リュカもようやく口元を引き締める。
      リュカの背中から、寝起きの顔のヒモヘビがやっと顔を出した。
      ちょろりと舌を出す真っ赤なヘビに、ロイがうっかり目を丸めた。
      そうこうしているうちに闘いの火蓋が切られる。
      剣と拳が、激しくぶつかった。
      マルスは冗談抜きで、誰から何点いただくか、いかにしてあのリュウとやらにこの世の理を教えるか、とくと吟味しながら剣を抜く。
      横目で見やる。ロイは黙して、ただじっと固唾を飲んでいる。
      ともすれば、彼は落ちぬ夕陽に吸い込まれてしまうのではないか―――ふと、そう思った。
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
            
      
      
      
      
      帰ってくれば、その城には、今日も馴染みの風が吹いていた。
      風は誰の印ともわからぬ旗をたなびかせ、戦争の音と匂いを運んでくる。
      人の気配はない。そこにはただ戦があった。
      マルスは戦火を眺めながら、己の心に手を当ててみる。なんだかわからないものが、己の中に渦巻いている。
      それは得たいの知れない何かに思えた。どろどろとしていて、澱んでいて、心の隅でじっと滞っている何か。
      世界に目をやれば、争いの絶えない大地が見えてくる。
      戦乱の炎が渦巻く大地を、風が吹き、愚かな争いの気配を運んでくる。
      上がることのない喚声、叫ばれることのない悲鳴、流されることのない血の香り……
      これらはいつも、渦となって自分の身体に纏わっている。今、心の中で溜まりとなって留まっている何かと同じように。
      ―――本当は、そんなもの、ここにはないのかもしれない。
      喧騒も、死臭も、ただの幻影だ、きっと。自分の中に滞る記憶が呼び起こす、儚い幻。
      自分の背後に現れた彼も、もしかしたら、そうなのかもしれない。
      思ってしまって、また胸がきゅうと締まった。
      
      
      「僕たちの世界、作ってくれたんですね」
      
      
      歩み寄りながら言葉を掛けてくるロイに、マルスは振り向くこともせず、淡々と答える。
      
      
      「どこの国の、どういった城なのかわからないんだ」
      「誰も知らない?」
      「そう、誰も知らない、名もなき城。ただ戦争だけがある場所」
      
      
      マルスは城壁の縁に立ち、眼下の乱世に目を落とした。
      ロイが歩みを止める。マルスの後ろ、あと3歩といったところ、彼は立ち止って、初めて出会った世界の空気を吸った。
      2人の間を、静かに、風が抜けていった。
      
      
      「謝りませんからね、僕」
      
      
      前置きもなく、ロイはそんなことを言った。
      
      
      「どうして?」
      「何を省みればいいのか、どれだけ考えたって、わかりませんから」
      
      
      マルスは呆れとも笑いともとれる息を吐く。
      
      
      「そうじゃない。どうして君が謝らなきゃならないんだってこと」
      「それは……」
      
      
      ロイが、苦い顔で唇を噛んだ。言葉が淀んだ。
      
      
      「僕は……あなたを……」
      
      
      ―――置いていった、そう、言うつもりなのだろうか。
      君を置いて先に行ったのは、僕の方だというのに。
      
      
      「……僕が何をしてしまったのか、わからないんです」
      
      
      ロイは誰にともなく告白する。
      
      
      「僕が、僕たちがいつ、あなたの前から消えてしまって、それからどれくらいの時を、あなたが過ごしてきたのか……僕にはわからないんです」
      
      
      風に消え入りそうな声で、己の中のものを吐き出していく。
      わからない、と言いながら、懸命に過去を省みている彼は、まるで鏡のようだった。
      鏡に映されて、マルスもようやく、己の心が見えてくる。
      自分は、思い出してしまったのだ。彼が消えたという事実を。彼らがいない時間のことを。
      受け入れたと思っていたのに。事実を事実と受け止めて、自分の中に溶け込ませていく、それが出来ないほど自分は弱くないと、信じていたのに。
      自分は全然強くなんてなかった。それを、思い出させたのだ、彼が。ロイが。
      
      
      「謝ってしまいたくなるんです」
      
      
      そうだ、謝ってしまえば、楽なのだ。彼も、僕も。
      
      
      「泣いて謝って、あなたに許しを乞えばと思ってしまうんです」
      
      
      彼が一言謝って、僕が一言で許せばいい、ただそれだけ。
      本当に、それだけ。
      それはとても簡単なこと。彼にとっても、僕にとっても。
      
      
      「でも」
      
      
      ロイの声に、涙が見えた。
      
      
      「そんなこと、何の意味もない」
      
      
      何の意味もない。
      断然と切られた語尾に、惑いはなかった。
      マルスは封じていた瞳を開く。
      大地が見えた。戦火が見えた。狼煙が見えた。全てが、涙に揺れそうだった。
      
      
      「……変わったね、ロイ」
      
      
      届いたか、わからないほどの声だったが、ロイが息を詰まらせるのがわかった。
      
      
      「そう……でしょうか?」
      「変わったよ、君は」
      
      
      言葉を紡ぐと、再び閉じた瞼に涙が静かに沈んでいった。
      代わりに湧いて溢れて出でる感情を、言葉に乗せる。
      
      
      「強くなったね、ロイ」
      
      
      マルスは顔を上げた。そして、振り向く。そこに確かにいる、ロイの姿を目に入れた。
      その姿は、自分の記憶に残る儚い残像とはまるで違っていた。
      燃えるような赤毛に清んだ青色の瞳。新しい服がよく似合っている。
      立派な鎧は領主として持つべき貫禄で輝き、裾の解れたマントは彼の経てきた戦火を想わせる。
      少し背も伸びただろうか。あの幼かった顔立ちはまだ面影を残している、でも今は凛々しさが勝っている。
      跳ねる赤毛を纏めたバンダナの繊細な刺繍は光まで跳ねさせている。
      そして携えた封印の剣は、きちんと彼の手の中にある。
      嬉しかった。
      彼が変化を持ってここに帰ってきたことが嬉しかった。―――やっと、喜べた。
      
      
      
      「変わってなんかいません」
      
      
      ロイは頭を振って、鞘に収めた剣の、大きな柄に目を落とす。
      
      
      「あれから、いろいろありました。戦を知って、仲間を得て、竜を討って……この剣も、手に入れました」
      
      
      彼の右手が剣をそっと撫でる。
      
      
      「でも、まだまだこれからです」
      
      
      そうしてロイは目を上げた。
      
      
      「この世界には、新しいことがいっぱいあるし、学べることもたくさんある。そうでしょう?」
      
      
      まっすぐ向けられた瞳に、もう陰りはない。
      
      
      「またいろいろ、教えてください、先輩」
      
      
      先輩、そう呼ばれ、マルスは思い出す。
      強いとか、弱いとか、そんな話じゃないのだ。
      自分は強くあらねばならないのだ。彼の『先輩』として。
      
      
      「僕は既に1つ、学んだよ」
      「え?」
      「あの、リュウって人から、ね」
      
      
      素直に戸惑うロイに、マルスは余裕を感じさせる笑みを浮かべた。
      
      
      「拳でしか語れぬ言葉がある、彼はそう言った。……ならば」
      
      
      マルスはついに神剣に手をかける。
      
      
      「僕は、剣で語り合うよ」
      
      
      言って、一気に引き抜いた。
      抜いたついでにくるりと回して見せる。剣先が円を作って風を斬った。
      やっと、戻ってきた感じがする。あの頃の空気が。
      リンクの前で背伸びして、ロイの前で余裕を見せて。
      でも剣技だけは、なんにも飾ることなんてできなかったし、飾る必要もなかった。
      剣の前では誰もが同一だった。
      あの頃の世界は、とても小さな箱庭だった。
      そのままでいいと思っていたのだ。
      リンクとロイと、ただ3人、剣で語る日々が続けばいいと思っていた。
      でも世界は変化している。
      僕はそろそろ、その変化を受け入れなくてはならない。
      昔は戻ってなんか来やしない。戻ってきたと思っても、そんなもの、ただのまやかしだ。
      その証として、ロイは変わって現れたのだ、僕の前に。
      
      マルスは剣を正眼に構えて見せると、剣の奥からロイに笑いかけた。
      やっとロイも笑って、腰元で拳を握る。
      
      
      「先輩、1つご報告があるんですよ」
      「なんだい?」
      「この剣なんですけど」
      
      
      言いながら、腰に真一文字に携えた剣の柄を取って、何の飾り気もなくするりと引き抜いた。
      自然と右足が前に出て、半身に中段で剣を構える。
      
      
      「炎とか、出なかったです、本物」
      「……あ、そう」
      
      
      そうだろうとは思ってたけど。
      改めて、その白く光る刀身を見澄ます。
      アイクのラグネルに見慣れた所為もあるかもしれないが、封印の剣には以前ほどの大きさが感じられなかった。
      それはロイの身丈にぴたりと合っていて、彼が、今度こそ、この剣の真の持ち主となったことを認めさせられた。
      
      
      「切り札とか使ってみたかい?」
      「いえ、まだ」
      「じゃ、僕に取られないように頑張ってね」
      「譲ってくれないんですか」
      「譲ると思う?」
      
      
      マルスが微笑を浮かべると、ロイは口の端から歯をのぞかせた。
      一度目を閉じて、マルスはすぅと息を吸った。
      目を開く。
      もう、渦も、淀みも、滞りもない。
      澄んだ空気がマルスを包んでいた。それは風となってこの世界の大地を駆けてゆく。
      結局、まだ大切な言葉をロイに言えていない。
      まぁいいか。
      その言葉に乗せるべき想いは、今から剣で語ればいい。きっと届く。
      ―――いい剣が、振えそうだ。
      3歩離れた2人の間を、風が抜けて行った。
      共に見合い、息を吐いて、そうして同時に前へ、飛び出した。
      
      
      
      
      
      



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