それは明るい陽の当たる平原でのことだった。
      
      
      「はい、どうぞ」
      
      
      ピーチがにこやかに菓子を差し出すと、ピカチュウは嬉しそうな声と共にそれを受け取った。
      礼儀を知る賢い彼は、きちんと姫にお礼をすることも忘れない。そんなピカチュウを、ピーチもまた嬉しそうな笑顔で優しく撫でる。
      
      
      「あなたたちのはこっち」
      
      
      姫は立ち上がると、こちらにも菓子を渡してくれた。ピカチュウのとは違ってきちんと綺麗に包まれている。
      今回の物も期待して良さそうだ。
      
      
      「僕もいただいていいんですか?」
      「もちろんよ。遠慮しないで」
      「ありがとうございます!」
      
      
      隣でシュルクが、新鮮な反応を見せていた。彼は姫君たちの贈り物を受けとるのが初めてらしい。
      ピーチはそんなシュルクに満面の笑みを見せる。
      そうして立ち上がると、まだまだたくさんありそうな贈り物を手に提げ、優雅に去っていった。
      
      
      「何が入ってるんだろう?」
      「今回はケーキのようだね」
      
      
      マルスは手の中の包みの大きさや重みから、なんとなくあたりをつけた。
      そして確かめるべく包みを開く。
      
      
      「うわー美味しそうですね!」
      
      
      予想は半分当たりといったところか。
      甘い香りと共に現れたのはチョコレートケーキだった。
      
      
      「姫たちのお菓子はおいしいよ。シュルクも、乱闘でどっかやってしまわないうちに食べた方がいい」
      「!……それもそうですね」
      
      
      シュルクは草の上に腰を下ろし、自分の包みを開ける。
      自分の分はあっという間にたいらげたらしいピカチュウが、興味深々にその膝へと寄り添い、包みを覗き込んだ。
      シュルクはケーキを取り出すと、ピカチュウに仕種で「食べる?」と尋ねる。
      だがお行儀が良く、なおかつ後輩に優しい彼は、ゆっくりと頭を振ってシュルクに「食べろ」と促すのであった。
      そんな2人を微笑ましく思いながら、マルスもシュルクに倣ってその場に座り、ありがたくケーキをかじる。
      口の中に、濃厚なチョコレートの味が広がった。僅かに洋酒も入っているようで、ただ甘いだけでない、深みのある味わいだ。
      
      
      「おいしい……」
      
      
      シュルクが染々とした声を洩らす。
      
      
      「これはお返しをしないとですね」
      「え?」
      
      
      お返し?
      考えたこともないことを言われ、思わずマルスの手が止まる。
      
      
      「何がいいかな……」
      
      
      抜けるような清空に向かって呟くシュルク。
      いや、マルスだって考えたことはある。ただ、随分と長いこと忘れていただけだ。
      マルスは自分を恥じた。
      姫たちのお菓子は、彼女たちの楽しみの副産物であるとしか思っていなかった。
      事実はその通りなのかもしれない。だがその事実に甘えてただ享受することを当然と思ってしまっていた。
      なんともお粗末なことだ。こんなことをシュルクに気づかされるとは。
      
      
      「アクセサリーとか、ここじゃ邪魔になっちゃうかな」
      
      
      シュルクはぼんやりと考えながらケーキをかじっている。
      どうやら隣の彼は手先が器用で、物を造るのも好きなようだ。
      比べて自分はというと、多少知識に自信はあるものの、他にこれといって何も取り柄はない。
      よくよく考えれば、自分ができる『お返し』なんてひどく限られているのではないだろうか。
      自分が無能だと感じているわけではない。
      ただ何か具体的に、直接的に他人の役に立つ、そのために要する技術を持っていないということだ。
      もちろん、頼まれればいくらでも手伝いはするし、思えば今まではそれこそが彼女たちへのお返しとなっていたのかもしれないが……
      
      
      「……ピーチ姫は、お城に飾れる物なら喜ぶんじゃないかな」
      「飾れる物?」
      「ゼルダ姫は、携行できる物の方がいいかもしれないね。読書や書き物をよくなさるようだ」
      「筆記具関係……かな……」
      
      
      思いついたままに伝えてやると、シュルクはすぐに何か思いついたらしい。
      最後の一口をぱくりと食べ、ごくりと飲み込み、よし、と立ち上がった。
      
      
      「マルス、ありがとうございます!」
      「どういたしまして」
      
      
      やる気の出てきた様子の彼を、マルスは軽く手を振って見送った。
      何を創るつもりなのか、興味があった。
      だが、今自分が吟味すべきは、自分にできる「お返し」のことだ。
      もしも姫たちに何か差し出すとしたら、いったい自分に何ができるだろうか。
      
      
      「ピカチュ?」
      
      
      足元で、ピカチュウが小さく鳴いた。
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
               
      
      
      
      
      
      ガッ!
      
      
      
      また1つ、硬い殻が砕ける音が響く。
      カラリと欠片が床に落ちる音も続く。
      
      
      「リンク」
      「なに?」
      「その作業を、マスターソードでやろうとしてたわけ?」
      
      
      ルフレが呆れたように言葉をかける。リンクはそうだよと答えながら、握った剣の柄を降り下ろす。
      ガツンと硬い音が響くと、また1つ、硬い木の実の殻が割れた。
      彼が手にしているのはルフレの青銅の剣だった。確かにこれならどう使おうが問題はない。
      サイズも適当だ、リンクの剣と比べれば。
      
      
      「聖剣の扱いとしてどうかと思うんだけどなぁ」
      
      
      言いながら、ルフレはリンクが割った木の実から、食べられる部分だけ取り出す作業を進める。
      硬い破片や食感の悪そうな部分を払い、軟らかい実だけを綺麗によけていく。
      たまに殻ごとリンクの方へ戻すのは、割りきれていない物ということか。
      
      
      「折れたりしなけりゃ平気だろ」
      「たしかに頑丈そうだけど」
      
      
      また1つ、音が響く。
      聖剣を調理道具とするのはマルスもどうかと思うし、リンクの道具の使い方が荒いことも日頃感じているが、
      しかし、彼が自由に道具を使えるのは、彼自身の手でそれらをきちんと手入れをしているからに他ならない、ということも知っているので、
      特に何も言おうとは思わなかった。
      黙々と、マルスは目の前にあるものと向き合う。
      それは大きな器に入った、クッキーの基となる生地。
      結構な量を作ってしまった。
      作業台には2枚の大皿に適当な大きさに丸めたクッキー生地が並んでいる。既に皿1枚分は、釜戸代わりの機械の中で焼かれている最中であった。
      
      シュルクやピカチュウと別れた後、シュルクを見習って「お返し」をすることを考えた。
      だが何も特別なものが思いつかない。
      そこで自分が使えるものはなんだろうと考えたとき、その答えは「人脈」しか出て来なかった。
      「人脈」の助けを得れば、姫たちの真似事くらいはできるかもしれないと思った。
      どこかのキッチンを借りることを考える。
      場所と、その使用許可を出してくれる明確な権利者、さらに言うなら使い方まで教えてくれる、
      そのすべてが確実に揃うところは、ここ、グレートフォックスしか思い当たらない。
      いつものように尋ねた。
      艦の留守を預かっていたスリッピーとクリスタルは、快くマルスの手助けをしてくれた。
      キッチンを借り、ついでに材料も借りる。
      優しきクリスタルはマルスでも作れる菓子のレシピを与えてくれた。基本のクッキーのレシピだ。
      バターを練り、粉を振り、混ぜ、そしてしばし冷暗所で寝かせる。
      その間にクッキーに混ぜる木の実を探しに行った。
      たまたまリンクを見つけ、木の実探しに適任と協力を仰ぎ(仰いだつもりだ)、そのままここまで付き合わせている。
      ルフレが居るのは、ただの成り行きだ。だが来てくれて良かったと思う。
      木の実を割るのは思った以上に重労働のようだし、またリンクがマスターソードで割ろうとするとも思っていなかった。
      
      
      「これだけ様々な機械があるのに、木の実を割ってくれるのはないんだ?」
      
      
      徐々に作業のリズムを掴んできたらしいリンクの隣で、ルフレは少し手を休め、あたりを見回した。
      はっきり言って狭い空間、なのに、調理に必要な機材が効率よく並べられている。……らしい。
      マルスが見てもどれが何なのかさっぱりわからない。
      唯一、今まさに働いてくれている窓つきの機械が物に熱を与える装置、釜戸の換わりだというのは教えてもらった。
      
      
      「まぁ殻つきで売ってる方が珍しいからねー」
      
      
      キッキンの隅から、高い声が返ってくる。戸棚に潜って探し物をし続けているスリッピーだ。
      何やら古い使わなくなった機械を再利用するために探しているらしい。
      
      
      「物流も発達しているということかな」
      「なんでも便利な世界だよな」
      
      
      ルフレとリンクと、各々自由な感想を述べながら、2人は木の実の相手を続ける。
      
      
      「チェーンハンマーでも持ってくればよかったかな」
      「それ、まさか鎖の先に鉄球付いてるやつ?」
      「そうだよ」
      「……木の実を割るには重すぎるし使いづらいと思うんだけど」
      「でもまとめて割れそうじゃん」
      「中身まで砕けちゃうよ……」
      
      
      またも呆れた声で返すと、ルフレは立ち上がって、机上の器を取る。
      
      
      「まぁある意味、うまく割れたら凄いけれど」
      
      
      言いながら、剥き終えた木の実をこちらへと運んでくれる。
      
      
      「木の実、余りそうですね。どうしますか?」
      「クリスタルが他の料理で使ってくれるそうだ。……そうだね、もうこっちにはいらないかな」
      「では残りは別に取っておきましょう」
      「頼むよ」
      
      
      マルスは短く答えて、手の中で丸めた生地に木の実を適量取って混ぜ込んだ。
      やっと上手く纏められるようになってきた気がする。
      クッキーに木の実を入れるというのは、クリスタルの言い出したことだ。提案というより、ただの好みのようだった。
      そのクリスタルはここにいない。
      キッチンはあまり広くないし、スリッピーもいる。
      生地さえ作り終えてしまえば自分が手伝うこともないだろうということで、機械の設定だけして、自室へと戻った。
      
      
      「スリッピー、何か保存用の容器をくれますか?」
      「容器?あぁ、ナッツ取っとくのに?なら……」
      
      
      と、スリッピーはがさごそと何ヵ所かを漁った後、「これに入れといて!」と、透明な素材の袋をルフレに差し出した。
      ルフレはとりあえず受け取ると、まずは見慣れぬ資材をまじまじと観察する。
      ガッ!とまた気合いの入った音が響いて、
      
      
      「終わったー」
      
      
      それに気の抜ける声が続いた。
      どうやらリンクは木の実を割り終えたようだ。
      
      
      「お疲れ様でした」
      「ルフレ、剣どうする?」
      「壊れてないなら、また使おうと思うけど」
      「……留め具、ちょっと緩んじゃったな」
      
      
      リンクは借りていた剣を念入りに眺めると、
      
      
      「スリッピー、ちょっとドックの工具借りるよ」
      
      
      そう言って立ち上がった。スリッピーが探し物の手を止めずに軽い調子で了承の返事をする。
      ルフレはリンクを引き留めるべきか迷ったようだが、そのための言葉を発せないまま、
      部屋を出ていく彼の背を見送ることになってしまった。
      リンクと違ってこの艦の勝手を知らないから自分で直しにも行けないし、かといって、軽々しく剣を廃棄するとも言えないだろう。
      追うことも諦めたようで、残った木の実の処理を続けた。
      しばらく空間に静けさが訪れる。
      響くのはスリッピーが掻き回している戸棚の中身のかち合う音、そしてルフレとマルスが弄る木の実の擦れる音、
      それくらいだ。
      別にこれまでリンクだけが賑やかにしていたわけでもない。彼もそこまで話好きなわけではない。
      ただ、1人減って、さらにこれまで大きかった木の実を叩く音がなくなって、より静けさを感じてしまうだけだ。
      
      
      「こういうことは、よくなさるのですか?」
      
      
      耐えかねた、という風でもないが、ルフレがそんなことを尋ねてくる。
      
      
      「いや……めったにない」
      
      
      『めったに』と言っては見たものの、やったことがあったかどうか、定かではなかった。
      
      
      「やっぱり、おかしいかな」
      「え?」
      
      
      ルフレの手が一瞬止まり、こちらを見たのがわかった。
      しかしこちらが生地を丸める手を止めずにいると、ルフレも再び木の実を選り分け始める。
      
      
      「英雄王のイメージとは違いますね」
      
      
      つまんだ木の実を確かめながら、ルフレが答える。
      
      
      「まぁ、クロムたちも王族とは思えないことばかりやってますけど……」
      「そうなのかい?」
      「えぇ」
      
      
      ルフレが何を思い出したか、クスリと笑った。
      
      
      「立場に拘らず、誰かのために何かできるというのは、いいことです」
      
      
      誰かのため、そう言われて、今度はマルスが手を止めた。
      これは、誰かのためにしていることなのだろうか。
      何のためにしていることなのだろうか。
      
      
      「……自分のためだよ」
      
      
      堪らず口に出す。
      さっきから、どうもしっくり来ないと思っていた。
      こんなところで、こんなことをしている自分に、何か釣り合わぬものを感じていた。
      そうだ、これは自分のためなのだ。
      結局のところ自己満足でしかないのだ。
      自分の受けた恩恵に対して、自分も何かをもたらしたい、与えたい、そして対等でいたいと、そう思っているだけなのだ。
      あるいは、もらったら返す、その常識を持っていることを誇示したいだけなのだ。
      いや、他人に何かを与えることができる、その能力が自分にきちんと備わっていることを証明したいだけなのかもしれない。
      マルスは手の中の物を眺めた。
      さっきまでひんやりしていた無表情な生地は、マルスの熱を拾って温もりを得ている。
      握って、また開いたら溶けて消えるのではないかと思えた。
      
      
      「……姫たちに喜んでもらえるのなら、それでもいいと思いますが」
      
      
      ルフレはマルスの言葉を軽々しく否定したりはしなかった。
      手を休めずに、淡々と話す。
      
      
      「想いも大事です。でも同じだけ、結果も大事です」
      
      
      何を思って言っているのか、上手く読み取ることはできなかった。
      しかしその理論的な言葉は、マルスを刺しもしたし、包みもした。
      
      
      「喜んでもらえるかな」
      
      
      木の実をひとつまみ取り上げながら、マルスは言葉を続けた。
      
      
      「姫たちが作った方が美味しいに決まっているのに」
      
      
      チン!と、呼び鈴に似た音がキッチンに響いた。どうやらクッキーが焼けたと報せる音らしい。
      ルフレが顔を上げた。そして、笑顔を見せる。
      
      
      「召し上がってみてから考えては?」
      
      
      なるほど、それもそうだ、と、
      マルスは機械の取り扱いについてスリッピーの指示を仰ぐ。
      何を考えたところで、人の想い、自分の想いに正解などないのだ。
      結果が大事、ルフレの言うことはもっともだと思った。
      何はともあれ始めたことはきちんと終わらせなければならない。
      マルスは一度手の油を拭って、まだ熱い鉄板に注意しつつ焼き上がったクッキーを皿に移す。
      砂糖とバターの甘い香り、それに焼けた木の実の香ばしさが加わって、マルスの食欲を誘った。
      
      
      「熱いうちに次焼いちゃって」
      「あ、うん」
      
      
      スリッピーに促され、マルスはその手を早めた。
      鉄板の上が空いてきたところで、クッキーを敷いてある紙ごと持ち上げ、纏めて皿に上げる。
      すぐにその紙を敷き直そうとすると、スリッピーが新しいのを出してくれたので、それを敷き、次に焼くものを乗せた。
      
      
      「この鉄板、もう一枚あればいいね」
      「めったに使わないし、量も作らないからなぁ」
      
      
      釜の戸を閉めると、スリッピーは慣れない手つきでその操作をする。
      パネルの表示が一度目と、クリスタルが設定したのと同じであることをマルスに確認して、稼働させた。
      無事に炉に灯が点いたのを確かめると、マルスは一息ついて、焼き上がったクッキーを見やった。
      少し冷めて香りも落ち着いている。
      やはり、姫が作ってくれたものとは比べられないなと思った。
      大きさが揃っていないし、形も歪んでいる。ただの円形のはずなのに。
      だが香りは悪くないんだから、味もひどくはないはずだ。
      マルスは1つ、小さめの物を指でつまんで、自分の口へと運んだ。
      焼き立てなのでサクリとした歯応えはない。
      軟らかくて温かい生地が優しい甘味を孕み、また木の実の香ばしさも絡んで、口の中でほどけてゆく。
      美味しかった。
      自然と、顔がほころんだ。
      
      
      「オイラも食べたーい」
      
      
      手を伸ばすスリッピーに、マルスは躊躇することもなく1つ差し出す。
      大きめのを選んだつもりだが、スリッピーは一口で食べてしまった。その顔を見るに、やはり味は問題なさそうだ。
      皿にはまだ充分な量が残っている。形はどれもあまり良くない。
      この一皿は今いる皆に振る舞って、後から焼いた方のうちから姫たちに渡すものは選ぼう。
      ゼルダ姫の分はリンクに預けてやったらいいだろう。
      あとはクリスタルにも別に包んで、残ったらルキナの分も……
      
      
      「スリッピー、シュルクがジャンク品もらいに来てるぞ」
      
      
      リンクが部屋に戻ってきた。
      
      
      「はいはーい、すぐ行くよ!」
      「ちょうど良かった、リンク、これ、向こうの部屋に持っていってくれないか」
      「お、焼けたんだ」
      
      
      リンクはルフレに剣を返すと、こちらに向かう。
      木の実の選別も終わったらしい。テーブルの上の細かい塵をくずかごへと払い、手に残ったものも落とす。
      ルフレにも、あとはリビングの方でゆっくりしていてもらおう。
      ここまでやったんだ、お茶もたまには自分で準備させてもらうことにしよう。
      
      
      「なんか、楽しそうだな」
      
      
      と、リンクに、すぐ傍から言われた。
      
      
      「そんなに美味しくできた?」
      
      
      なんとも怪訝な顔で覗きこんでくる。
      失礼な。
      マルスは、とびきりの笑顔をリンクに返すと、ちょっと木の実が多すぎてゴツゴツしてしまったクッキーを1つ、押し付けた。
      
      
      
      



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