ここは『平穏』の二文字が統治するところだと思っていた。
      しかしその身勝手な勘違いは一つの悲鳴によって断罪される。
      乱れた心と保たれた空間。
      どちらを信じるべきか選ぶことができないまま、シュルクはとにかく悲鳴のした方へと足を向けた。
      
      昼下がり、ピーチ姫の居城を訪れた時のことである。
      今日も天気は晴れ。
      暖かい光が場内をも明るく包んでいて、何も異変は感じられなかった。
      それは今現在も同じこと。悲鳴などなかったかのように、城内は穏やかな空気に満ちている。
      『ここ』は平和な世界だ。少なくともシュルクはそう信じている。
      しかし、それはもしかしたら虚構なのかもしれない。
      この世界は以前に外部の侵攻を受けたことがあるという。
      ちょうどリンクやアイクたちがファイターとして呼ばれた直後の頃のことで、異形の者が現れ、空間は歪められ、一部のファイターによる反乱まであったとか。
      一通り話には聞いているのだが、あくまでも冒険譚としか捉えていなかったと気付かされる。
      世界の平穏無事を信じて疑わず、なんの危機意識も持たないまま、自分は『ここ』に立っている。
      だが、もしかしたら、ここだって本当はいつ何が起こってもおかしくない空間なのかもしれない。コロニー9がそうであったように。
      故郷の悲劇は繰り返すまいと、堅く誓ったはずだった。
      なのに、それでも、この暖かな光に満ちた静かな空間は、その誓いをも包んで、はやる心を鎮めてしまう。
      実際、今の城内の空気は、鳥のさえずりが聞こえてきそうなほどに落ち着いている。
      やはりここは平穏そのものなのではないだろうか。
      悲鳴などなかったのではないだろうか。
      ―――いや、確かに悲鳴を聞いた。この事実を否定することはできない。
      ではそれは何処へいったのか。危機感を呼び覚ますあの声は、何処へ消えてしまったのだろうか。
      無謀の焦燥と無知の信仰、
      その狭間を行ったり来たりしているうちに、
      結局、シュルクは歩くでも走るでもないまま、現場に着いてしまった。
      目の前にあるのは、キッチンへと繋がるドア。
      悲鳴はここからのはず。
      
      シュルクは迷いを捨てて、覚悟を決めて、冷静を導いて、そして平穏を装って、そのドアを開けた。
      
      ふわりと、麗らかな風がシュルクを撫ぜて抜けていった。
      明るく柔らかい、清潔感と親近感の同居する空間がシュルクを迎える。
      そんな部屋の真ん中に佇んでいたのは、ルキナだった。
      こちらに気付き、向けていた背中を隠すように振り向く。
      青い髪が風に揺れた。
      
      
      「ルキナ?」
      
      
      目が合って、シュルクはその顔に宿るものに疑問を抱く。
      
      
      「……何かあったの?」
      
      
      尋ねながら、シュルクは素早く部屋の様子を探った。
      部屋自体に、特に異変は見当たらない。
      しかし中央に立つルキナの緊張しきった表情、
      そして右手側にもう1人、ロゼッタ姫が、こちらは怯えと困惑の表情で、
      やはり部屋の真ん中あたりを見つめているようだ。
      
      その視線の先には……
      
      
      「カービィさん?」
      
      
      食卓の影、床の上に、ピンク色の身体が横たわっているのが見えた。
      ……横たわる、というのは、表現としておかしいと思う。
      この人はどんな時も丸い。とにかく丸い。
      かといって、先輩にあたるこの人に『転がっている』という表現を使うのは躊躇われるのだが。
      とにもかくにも、カービィは、そこに寝ていた。うつ伏せで。
      
      「いったい……」
      
      「シュルク」
      
      ルキナが重たげに口を開いた。
      
      
      「……事件です」
      
      
      重たい響き、笑みを封ずる陰り。
      それらを目の当たりにしても、なお、ここの平穏を疑うことのできない自分は、
      やっぱり平和ボケしてしまっているのかもしれない。
      シュルクはただただルキナの視線を受けるのみ。
      風が吹き、窓辺を暖かく揺らした。
      
      
      
      
      
      
      
      
      
          
      
      
      
      「犯人はあなたですかっ!?」
      
      「えぇっ!?」
      
      いきなりルキナに指を突き付けられ、シュルクはとりあえず汎用な声を上げることしかできない。
      
      「いったい何の話!?」
      
      「とぼけても無駄です!」
      
      指と一緒に鋭い視線も突きつけられる。
      もしかして、これは剣を向けられていないだけマシなのだろうか。
      
      「と、とりあえず、落ち着いて話そう?」
      
      「そんな悠長なことは言ってられません!」
      
      シュルクはちらりとルキナの後ろを見やる。
      そこでは、未だに呆然と立ち尽くしたままのロゼッタ姫の姿があった。
      遠くからでもその色が映える、美しい蒼の瞳が、今は何も映していないかのように、じっと床へ向けられている。
      助けを求められる様子ではない。
      むしろ助けるべき姿に見えた。
      何があったのか、きちんと知る必要を感じ取って、シュルクは小さく息を吐いた。
      まずは、ルキナを説得しなくては。
      
      
      「ルキナ、どうして僕が犯人だと?」
      
      
      するとルキナは
      
      
      「犯人は現場に戻ってくるって言うじゃないですか」
      
      
      さらりと言ってのけた。
      
      
      「……僕は戻ってきたわけじゃないよ?」
      
      「え?」
      
      
      ルキナの目に惑いが現れる。
      シュルクは『やってきた』わけであって、『戻ってきた』わけではない。
      もっとも、この城に来るのは初めてではないのだから、以前に来た時を起点と考えれば、戻ってきたという表現はできなくもない。
      しかしながら、以前はこんな『現場』はなかった。
      だから戻ってきたというのはやっぱり正しくない。
      
      
      「……」
      
      
      何を思っただろうか。とにもかくにも、ルキナは突きつけていた指を下ろし、
      
      
      「すいません」
      
      
      謝った。……誤解は、解けたらしい。ひとまずは安堵の息を吐くシュルク。
      今の理屈、我ながらヒドい代物、これで納得されるのもそれはそれで不安なのだが。
      
      
      「何があったか、教えてくれませんか?」
      
      
      ルキナは少々混乱しているのだろう。たぶん。
      あまり深入りせず、できるだけ思考をクリアに保ちながら、シュルクは改めてルキナに尋ねた。
      
      
      「悲鳴を聞いたように思ったんだけど」
      
      「……私です」
      
      
      奥から届く、力なき声に、シュルクは目を向けた。ルキナも振り返り、その姿を見つめる。
      
      
      「はしたないところを……申し訳ありません」
      
      
      シュルクに対して深々と頭を下げるロゼッタ。
      見るからに憔悴している様子、それでもきちんとこうした仕草をできるのは、姫の品格なのだろうか。
      
      
      「姫、詳しく聞かせてもらえますか?」
      
      「はい……」
      
      
      ロゼッタは視線を落としたまま、語り始める。
      
      
      「……私は、ピーチ姫よりお留守番を言いつかっておりました」
      
      「ピーチ姫、いないんですね」
      
      「はい。もうすぐ戻られるかと思います。私、良い機会かと思い、お城の掃除をしていたのです」
      
      「じゃあ、ここにも、掃除のために?」
      
      「あまり必要はないかと思ったのですが」
      
      
      たしかに、キッチンという部屋は使用頻度が高い分、主の性格が表れやすい場所だ。
      皆から頼られるしっかり者のピーチ姫、彼女のことだから、いつも綺麗に保っているに違いない。
      
      
      「扉の前に立った時、中に誰かがいるような気配がしました」
      
      「気配?」
      
      「あまり大きくはありませんでしたが、物音がしたのです」
      
      「物音……」
      
      
      シュルクはロゼッタの言を丁寧に拾いながら、頭に浮かべていく。
      ロゼッタの言葉は続く。
      
      
      「入るのを躊躇っていると、いきなり、何かが落ちる音がしました」
      
      
      僅かに言葉が熱を帯びる。
      
      
      「何か、固くて、重い物が落ちた、そんな音がして、それから……」
      
      「それから?」
      
      
      シュルクとルキナ、2人の目にも、ロゼッタの微熱が移って宿る。
      
      
      「それから……」
      
      
      ロゼッタが、目線を再び落とした。
      
      
      「しんと、静まり返ってしまいました」
      
      
      共に声色も落ちる。
      
      
      「私、少し怖くなってしまって……ですが留守を預かる者として放っておくわけにもいかず、扉を開けました」
      
      
      どちらだろうか、固唾を飲んだのがわかった。
      
      
      「……カービィ様が、倒れていらっしゃいました。思わず、悲鳴を上げてしまいました」
      
      「それが、僕の聞いた悲鳴ということですね」
      
      
      ロゼッタはこくりと肯いて、小さな声でふたたび「申し訳ありません」と呟いた。
      ひとまず話はここで終わりのようだ。
      走ってこなかったとはいえ、シュルクが悲鳴を聞いてから現場に着くまで、そう時間は掛かっていない。
      始めに目にしたロゼッタの様子からしても、悲鳴を上げた後はただ立ち尽くしていたことだろう。
      
      
      「で」
      
      「で?」
      
      
      シュルクの声に、ルキナが疑問の目線を投げると、シュルクもそれを見返した。
      
      
      「なんでルキナまで姫の話に聞き入ってるの?」
      
      「もちろん、初めて聞く話ですから」
      
      
      けろりとルキナは言った。
      
      
      「私も、悲鳴を聞いてこの部屋に駆けつけたんです。その後すぐにシュルクが」
      
      「じゃあなんで事件だって」
      
      「こんなところで人が倒れているのは、普通じゃないじゃないですか」
      
      
      それはそうなのだが……
      やっと、シュルクは何かおかしいと思っていたことに気付いた。
      
      
      「そうだよ!カービィさんッ!」
      
      
      ようやく思いが至り、床でつぶれているその人に目を向ける。
      
      
      「カービィさん、大丈夫なのっ!?」
      
      「大丈夫みたいですよ?」
      
      
      カービィの身を案じて緊迫した声を上げるシュルクに対し、ルキナは全く何とも思っていないように、こう続けた。
      
      
      「寝ているだけみたいですから」
      
      「え?」
      
      
      ルキナの視線に促され、シュルクはそっと、カービィの近くへ寄り、耳を澄ませる。
      聞こえてきたのは小さな寝息。
      
      
      「やっぱり……事件じゃないんじゃ」
      
      
      ぴんと張っていたはずの緊張と言う名の糸が、既に緩い弧を描いているように思えた。
      だがルキナは違う。
      
      
      「いえ、これは事件ですよ!」
      
      
      びしっと覇気のこもった声で断言する。
      
      
      「普通の人はこんなところで潰れて昼寝なんてしません!」
      
      「普通の人……かなぁ?」
      
      「カービィさんだって、場所くらい選ぶはずです」
      
      
      言って、ルキナはある一点を指し示す。
      
      
      「昼寝するなら、こっちの方がいいに決まってます!」
      
      
      そこは窓辺、外からの光が差し込んで、暖かな陽だまりを成している場所だった。
      たしかにこっちの方が昼寝には良さそうだ。
      ……そういう問題なんだろうか?
      それ以前にキッチンの床で昼寝すること自体はどうなのだろうか?
      
      
      「それにカービィさん、時折うなされているようなんです」
      
      「え?」
      
      「……ぅー」
      
      
      まるでルキナの声が聞こえているかのごとく、ぴたりのタイミングでカービィの呻きがシュルクの耳へと届く。
      
      
      「ぅぅ……」
      
      
      うつ伏せのまま、じたばたと手足がうごめく。
      しかしシュルクが声を掛けようか悩んでいるうちに、ぴた、と止まった。
      
      
      「もぅ……食べれ…ない……ふにゃ」
      
      
      そしてまた、元のように寝息を立て始める。ころころと変わる様相、まったく、寝ていても忙しい人だ。
      
      
      「私が見ている限り、この繰り返しなんですよ……」
      
      「……起こして、話聞いたらダメ、かな?」
      
      「こんなに安らかに眠ってらっしゃるのに?」
      
      
      やっぱり、ダメか。
      まぁ確かに、起こすのは躊躇われる状態だ。
      シュルクはそれ以上の追求を諦めて、その場に立ち上がる。
      カービィに異常はない。だが安眠もできていない。それは確認できた。
      
      
      「でもやっぱり事件と言うには足りないような」
      
      「まだあるんです!」
      
      「まだあるの?」
      
      「カービィさんの手の先を見てください」
      
      
      ルキナに従って、シュルクはカービィへと目を戻し、その手の先へと視線をやる。
      そこには空のビンが転がっていた。
      広めの口の、大きくも小さくもない、手ごろな大きさの空きビンだ。
      
      
      (キッチンにあったら便利そうなやつだ)
      
      
      しかし、研究室の机には必要ないかな、そんなことを思いながら、シュルクはビンを眺めた。
      
      
      「ね?」
      
      「え?何が?」
      
      「事件っぽくないですか?」
      
      
      どこが?
      そう一瞬思うも、シュルクもすぐに思い当たった。
      ロゼッタが聞いたという、何かが落ちる音、それはこのビンの落ちる音だろう。
      そしてカービィの手の先にある。カービィは眠っている。
      何となく繋がったような気がする。
      
      
      「……カービィさんは、ビンの中身を食べた、そして倒れた」
      
      
      ルキナが深く肯く。
      奥で、ロゼッタが息を飲むのが見えた。
      何かを口にして、倒れる。これは普通の事ではない。
      
      
      「いわばこれは……」
      
      
      ルキナが目を伏せる。シュルクも思わず息を飲む。
      
      
      「これは、星のカービィ殺人事件!」
      
      「……」
      
      
      シュルクは思わず声を失った。ようやく平和ボケから頭が戻ってきたと思っていたのだが。
      
      
      「ルキナ……、いろいろおかしいよ、その名前」
      
      「人っていう表現がおかしいのはわかってるんですけど」
      
      「それもだけど、そもそも死んでない……」
      
      
      その時、ふらりと影が揺らいだのを2人は感じ取る。
      咄嗟にルキナは、ロゼッタに駆け寄った。
      倒れそうになった彼女の背を、ルキナがしっかりと支える。
      
      
      「大丈夫ですか!?」
      
      
      ルキナが声を掛けると、ロゼッタはかろうじてその顔を見上げた。
      
      
      「……すいません、ルキナ様」
      
      「そんな!」
      
      
      ロゼッタはルキナに勧められ、食卓を囲む椅子のうちの1つへと腰を下ろす。
      
      
      「ピーチ姫のお出かけ中に、このようなことが起きてしまうなんて……」
      
      
      うなだれて、力なく自責の言葉を紡ぐロゼッタ。
      随分と気を落としてしまっている彼女の様子は、シュルクの目にも痛々しく映った。
      
      
      「私が、もっとしっかりしていれば……」
      
      「姫、そんなお顔なさらないでください」
      
      
      ルキナはロゼッタの傍らにしゃがんで寄り添い、励ましの声を掛ける。
      
      
      「あなたは悪くありません」
      
      「ですが、お二人にもご迷惑をかけて」
      
      「迷惑だなんて!」
      
      
      声を張るその姿は、力強くて、まるで姫を守る騎士のように見えた。
      
      
      「そんなこと、まったくありませんよ!ね、シュルク?」
      
      「もちろん」
      
      
      シュルクはルキナに応え、努めて笑顔を姫に送る。
      
      
      「姫が気に病むことはありませんよ。特に、僕らのことは」
      
      
      言葉をルキナへ返すと、ルキナも笑顔を見せた。
      ロゼッタの顔の陰りも少しは和らいだように見え、シュルクは少し安心する。
      ここは平和なところだ。
      だからこそ、この不可解な状況は解決しなくてはならない。
      なぜピーチ姫の居城のキッチンでカービィが倒れることになったのか、きちんと考えるべきだと、シュルクも感じた。
      
      シュルクは改めてキッチンを見渡す。
      
      整ったキッチン、食器もツールもきれいに並んでいる。
      やはり主の性格か、整理整頓は完璧だし、汚れなどもどこにも見当たらない。
      
      
      「突発的な事態、というわけではなさそうだね」
      
      「え?」
      
      
      ルキナが顔を上げてこちらに視線を投げた。
      
      
      「カービィさんと誰かが争ったような形跡、この部屋にはないみたいだ」
      
      「ではやはり、自ら食べたと?」
      
      
      シュルクが肯く。
      
      
      「でも、何でも食べるカービィさんが卒倒する程の物ってなんなんだろう」
      
      「余程の物ですよね」
      
      「それって、ピーチ姫がキッチンに置くかな?」
      
      「……他の誰かが、持ち込んだ」
      
      「カービィさんが食べられないような物を、食べ物が多いキッチンに置くのって、危ないことだよね」
      
      
      状況に、僅かながら悪意の影がちらついて、ルキナが少し顔を強張らせた。
      
      
      「もし、それが故意的なものだとしたら……」
      
      「でもいったい誰が!」
      
      
      ルキナがたまらず声を上げた。
      
      
      「そんな人、ここにはいません!」
      
      
      ……初っ端に指を差されたような気がするのだが。ひとまずそれは忘れることにする。
      
      
      「僕は2人くらい思いつくけど」
      
      「誰ですか!?」
      
      「クッパさんと、ガノンドロフさん」
      
      「!」
      
      
      ルキナが言葉を詰まらせる。そう、悪という言葉に一番馴染むのはやはりこの2人だ。
      しかしシュルクは続ける。
      
      
      「この2人ではないと思うんだ」
      
      「え?」
      
      「クッパさんはそんな面倒なことする人に見えない」
      
      「た、たしかに……」
      
      
      シュルクは、事件の悪意の矛先がカービィではない可能性も視野に入れていた。
      ここはピーチ姫のキッチンだ。
      だからそれは姫に対する悪意だったのかもしれない。
      であればその悪意の主として一番にあがるのはクッパである。
      なのだが、この魔王様が姫のキッチンに危険物を置くというのは、ちょっと想像がつかない。
      そしてそれは相手がカービィだとしても同様であった。
      
      
      「ガノンドロフさんだってそうだ」
      
      
      もう一人の魔王様もまた然り。
      
      
      「毒殺って言葉は似合いそうだけど」
      
      
      こちらは謀略を練るのが得意そうに思える。
      だけれども、他人の台所に何かを仕込むなんて、そんな小さい謀は似つかわしくない人に思えた。
      
      
      「じゃあ、他に誰が……」
      
      「誰か、カービィさんに恨みを持っていそうな人とか」
      
      「恨み……」
      
      
      ルキナが考え、シュルクも記憶を探る。
      ……恨み?恨みと言えば……
      
      
      「……私」
      
      
      と、ルキナが口にし、シュルクが顔を上げた。
      
      
      「先日、ドーナツを取られました」
      
      「僕も、ジュース取られたような」
      
      
      双方の目が合う。
      
      
      「ゆっくり食べようと思っていたのですが」
      
      「ここって、食べ物の確保すごく難しいよね」
      
      
      ルキナがこくこくと首を縦に振る。
      2人は共に、失われた食物への無念を思いだし、そして共にため息をついた。
      
      
      「カービィさん、恨まれてそうだなぁ」
      
      「否定、できないです……」
      
      
      小事とはいえ、食べ物の恨みは怖いものだ。
      そして、事が小さいだけに、今回の事件とも釣り合ってしまうように思えた。
      
      しかしこれではまた『ふりだし』に戻っているようなもの。
      もっと何か―――
      
      
      「シュルク様、ルキナ様」
      
      
      はっきりと名を呼ばれ、2人はそろってその方向を見やった。
      呼んだロゼッタは、椅子に掛けたままシュルクとルキナと目を合わせ、
      
      
      「あちらに、何か落ちているようです」
      
      
      そう言って、また床の上、今度はテーブルからもカービィからも随分と離れた一点を視線で指した。
      たしかに、何か落ちている。
      ルキナが拾いに向かう。シュルクはロゼッタの顔色が悪くはないことに安堵しながら、ルキナを待った。
      
      
      「こ、これは!」
      
      
      ルキナが、手にした紙に、目を見開く。
      シュルクはロゼッタに目配せをし、そしてルキナへと歩み寄った。
      
      
      「どうしたの?」
      
      「これ……」
      
      
      手渡され、シュルクもその紙をまじまじと眺めた。
      
      
      「……なんだろう」
      
      
      その問いの答えはどこからも出てこない。
      紙その物は、ルキナにとっても、シュルクにとっても、何のへんてつもない只の紙である。
      薄くて書き味は良さそうだ。
      仄かな桃色で可憐な花の模様があしらわれている。
      それもメモ紙としての機能を邪魔しない、程よい装飾で、シュルクは好感を持った。
      だが問題はそこではない。そこに書かれているものだ。
      
      
      「……」
      
      「きっと、何かのメッセージですよ!」
      
      「メッセージ?」
      
      「ほら、死の間際に残したりする人、いるじゃないですか」
      
      「だから死んでないって」
      
      
      また、ほよほよと呑気な呻きが耳を掠めた。
      紙に書かれているのは、全く内容の伝わってこない記号の羅列である。
      とりあえず、誰かによる手書きであるのは分かった。
      
      
      「その紙……」
      
      
      今度はルキナではなく、ロゼッタが声を上げた。
      
      
      「こちらのメモ帳のものではありませんか?」
      
      
      彼女が2人の視線を、自身の目の前、卓上へと導く。
      そこには淡い色の花が背の低い花瓶に活けられていた。愛らしい小花が群れて、零れ落ちそうなほどだ。
      そしてメモ帳は、あたかも零れた花の跡かのように、その元に据えられていた。
      
      
      「ペンもありますね」
      
      
      シュルクは食卓を飾る花に目を取られながらも、そこに確かに筆記具が備わっているのを確かめる。
      
      
      「ここで書かれたとみて間違いなさそうだ」
      
      
      ルキナへと視線を戻せば、彼女は口元に手をあて、眉間にしわを寄せ、シュルクの手の内にある紙をじーっと見詰めている。
      
      
      「暗号?でしょうか?」
      
      「暗号に見えなくもないけれど……」
      
      
      暗号、そう見ることもできた。
      
      
      「これを読み解けば、カービィさんに何があったかわかるはずですね!」
      
      
      ルキナは意気込んで、熱の入った瞳で暗号をにらみつけた。
      シュルクも共に目をやる。
      規則があるようなないような、そんな記号がまるで文字のように並んでいる。
      そう、文字のように。
      
      
      (文字?)
      
      
      シュルクは思い出す。ここは多くの世界の寄合だ。言葉こそ通じるが、使う文字は人それぞれである。
      
      
      「これ、誰かの文字なんじゃないかな?」
      
      「文字?」
      
      
      ルキナは言われた言葉を反芻する、それでも、紙を見つめることを放棄しようとはしなかった。
      
      
      「……」
      
      「……」
      
      
      暗号は解くことを前提で作られる。
      だが文字は、読める者に対して書かれる。
      シュルクにとって、この二つはまるで違うもの。
      だがルキナにとっては、文字だろうが暗号だろうが、同じものらしい。
      
      
      「……」
      
      「……」
      
      「……文字なら、眺めてても解読できないよ?」
      
      「っ!」
      
      
      シュルクの指摘に、『メッセージ』と懸命に格闘していたつもりのルキナが肩を跳ね上げた。
      もし、これがどこかの世界の誰かの文字であるならば、それはその世界の長い歴史の中で築きあげられたもの。
      一昼夜あったって解読は不可能だろう。
      
      
      「よ、読めるかもしれないじゃないですか!」
      
      
      気合は十二分に感じる。だがそれで読めるのならば、学者の存在はどうなってしまうやら。
      
      
      「えぇっと……これとこれには点があって、これは尖ってて……ここは連続同じので、1個だけ丸付が……」
      
      
      ルキナには悪いが、あまりにも非効率的過ぎる。
      とはいえそれを言ったところで止まりそうにはなかった。
      そもそも、これは本当にカービィが書いたのだろうか?それにしては長い。字数が多い。
      もしも、これが別の誰かが書いたものだとしたら……
      シュルクはふとその可能性に気付く。
      もしも、もしもこれが、カービィによって書かれたのではないのなら、そこに含まれる意図は、全く変わってくるのではないだろうか?
      例えば……最初から、ビンに……
      
      
      
      「あら?シュルクにルキナ、来てたのね」
      
      
      
      突然、思わぬ所から声を掛けられ、2人は一瞬身を震わせて、顔を上げた。
      
      
      「ピーチ姫!」
      
      
      同時にロゼッタが立ち上がる。
      
      
      「ただいま、ロゼッタ。お留守番ありがとう」
      
      「い、いえ……」
      
      
      ロゼッタが言い淀むも、
      
      
      「カービィ、こんなところで昼寝をしてるのかい」
      
      
      ピーチ姫と共に現れたマルスが、早くもその影を発見する。
      
      
      「マルス様……」
      
      
      きまりが悪そうにルキナがうつむく。
      
      
      「カービィさん、倒れているみたいなんです」
      
      「倒れている?」
      
      
      ルキナに代わってシュルクが伝えると、マルスはいちおう、カービィの傍らで膝をつき、その様子をうかがった。
      
      
      「ピーチ姫」
      
      「なぁに?マルス」
      
      「リンクに何か頼みました?」
      
      「え?」
      
      
      なぜリンクの名が出るのか、見当もつけられないでいるうちに、マルスは床に転がっていたビンを手に取り、姫に見せた。
      
      
      「これ、彼のでしょう?」
      
      「あら、そうね。シュルク、その紙は?」
      
      「え?」
      
      
      と、手元の物の存在を思い出す。
      
      
      「あ、これも床に……」
      
      「もう、ハイラルの文字で書かれても読めないのに」
      
      
      姫の言葉に、マルスが動き、シュルクからメモを受け取った。
      
      
      「あの子ったら、私が常にゼルダと一緒だと思ってるんだから」
      
      「まぁまぁ、メモを残すこと自体に意義があると思ってのことですよ、たぶん」
      
      
      マルスはさっと書かれた文字に目を滑らせる。そしてもう片手のビンと見比べた。
      
      
      「これ、チュチュが入っていたようですね」
      
      「チュチュ?」
      
      「ハイラルの魔物で、薬などの素材となるものです」
      
      「私、リンクに油を頼んだのよ」
      
      「あぁ、なるほど」
      
      
      言ってマルスがメモへと目を戻す。
      
      
      「やはり、これには黄色のチュチュが入っていたのでしょう。油の代わりになると聞いています」
      
      「じゃあこのメモ……」
      
      「依頼の品とは違うものを持ってきたから、念のため書き留めたのでしょうね」
      
      「にも関わらず、カービィに食べられた、と」
      
      「おそらく」
      
      
      とんとんと話は進んで行く。シュルクはただ黙ってマルスを見ているしかない。
      
      
      「って、あなた、いつからハイラルの文字なんて読めるようになったの?」
      
      「読めませんよ?『チュチュ』の文字を見たことがあるだけです」
      
      「あら、そうなの。読めたら便利でしょうに」
      
      「オルディンの大橋にはあまり書物がないようですし、それにリンクの手紙をもらうつもりもない」
      
      「もらってあげなさいよ」
      
      「お断りしますー」
      
      
      マルスはおどけたような声で姫に返しながら、カービィの元へと再び歩み寄る。
      
      
      「カービィ、起きて」
      
      
      優しく呼びかける声は、自分もぜひ起こしてもらいたいと願えるものだが、
      
      
      「姫がお帰りだよ」
      
      
      声はそのままに、むんずとその丸い体をつまみ上げる。
      優しさも何もない。やっぱりモーニングコールを頼むのはやめた方がよさそうだ。
      さすがのカービィも、むにゃむにゃ言いながら薄目を開けた。
      
      
      「マルスぅ……」
      
      「カービィ、いい加減覚えた方がいいよ。リンクのビンの中身なんてろくなもんじゃないって」
      
      「ふぇー……今日こそはダイジョーブだと思ったのにぃ」
      
      「はい、これ持って」
      
      
      話を聞いているのかいないのか、とにかくマルスはカービィにビンを渡す。
      
      
      「リンクに油かチュチュかもらってきなさい」
      
      「はぁーぃ」
      
      
      まだまだ眠たそうに、あくび混じりの返事を返した。
      マルスに床に下ろされると、カービィは、その小さな手で瞼をごしごしこすり、大きく伸びを1つ、そうしてぽてぽてと小走り気味に部屋を出ていった。
      静かな城内に可愛い足音が響き、遠退いていく。
      程なくしてそれが消えたのを確かめると、
      マルスは何事もなかったかのように涼しげに、こちらを振り返った。
      
      
      「……ん?ルキナ?」
      
      
      と、シュルクの隣で固まっている娘の名を呼ぶ。
      突然呼ばれて、ルキナはまるで雷が通ったのかと思うほど、刹那的に体を震わせた。
      
      
      「どうかした?」
      
      
      マルスはルキナに微笑みかけた。
      彼の方はきっと無意識なんだろう。
      だが、ルキナにとってはたまったものではない。
      彼女はみるみる頬を赤らめると、
      
      
      「お邪魔しましたッ!!」
      
      
      一同へ、大袈裟に深く一礼をして、部屋を駆け出していってしまった。
      マルスは笑みを湛えたまま、そしてピーチはあからさまに、それぞれ疑問の表情を浮かべた。
      
      
      「どうしたのかしら?」
      
      
      誰に宛てるでもないピーチの問いかけ、シュルクは乾いた笑いでごまかすしかない。
      ロゼッタを見やれば、未だ彼女は立ち竦んだまま、ルキナの消えた扉に視線をやっている。
      
      
      (……穏やかじゃないなぁ)
      
      
      「ピーチ姫、僕はこれをお返しに来たんです」
      
      
      シュルクはそう言うと、持ってきた物を懐から取り出した。
      手提げのランプだ。カンテラとも言える。
      姫に頼まれ、修理して持ってきた物である。
      
      
      「あら、早かったのね、さすがだわ」
      
      
      だが、シュルクはそれを差し出そうとはしなかった。
      
      
      「もう少しお借りしていてもいいですか?」
      
      「え?もちろん構わないけれど……」
      
      「リンクに頼んだという油、これに使うつもりだったんですよね?」
      
      「そうよ。他にも使いたいところはあるけれど」
      
      「これ、直したんですけれど、燃料が何なのかわからなくて、動作の確認ができてなかったんです」
      
      
      咄嗟に考えついたことではあったが、偽りではない。
      姫のランプはずいぶん古びていて、磨いて一部の部品を替えただけでも見違えるように綺麗になった。
      しかし道具は使えなければ意味がない。
      返すなら、できるだけ完璧な状態で返したいと、もとより思っていたところだ。
      
      
      「すぐに終わらせますから」
      
      「別に急いでないわ。いつでもいいのよ」
      
      
      姫の心遣いはありがたい、だがこれは好きでやっていることでもある。
      
      
      「ごめんなさい、こういうの、放っておけない性質なんです」
      
      「ゆっくりお茶でもと思ったのに」
      
      「僕もいい話し相手が捕まったと思ったんだけど」
      
      
      マルスが口を挟む。シュルクとしても、博識なマルス王子とゆっくり話ができるのは喜ばしいこと、
      だが今は手元の仕事、そして―――
      
      シュルクはロゼッタへ顔を向ける。
      
      
      「また来ます、ね」
      
      
      短い言葉ながら、まっすぐその瞳を見据え、そして笑いかけると、ロゼッタも、微かな笑みを返した。
      そして頭を下げる。
      
      
      「ロゼッタ、マルスに何か出してあげて」
      
      「はい」
      
      「ありがたく、いただきます」
      
      
      和やかなお茶会の始まりに背を向け、シュルクはランプを手にキッチンを後にした。
      これからどうしたものか。
      考えながら、預かり物を大切にしまい直す。
      
      置いてきてしまってもよかったのだ。
      
      ランプが灯るか確認するだけなら、持ち主にだってできる。
      ダメだったらまた呼んでもらえばいい。
      けれども、何か動く理由が欲しかった。
      事件は解決したようで、まったくしていないのだ。少なくとも、シュルクにとっては。
      
      シュルクはとりあえず、ルキナを追うことに決めた。
      なんと声をかければ良いのかは正直わからない。
      でも、なんとかなるだろう。
      リンクに油をもらってランプを灯すという用事も作ってある。
      とにかく行って、何かしてあげたい。
      この想いを果たすには動くしかない。そうシュルクに示してくれたのは、他でもない、ルキナだ。
      背負った剣は、寝息のように穏やかな波長を湛えている。
      城の広間の空気もまた同じ。
      来た時とまったく同じ通り順で、シュルクは城の玄関に辿り着く。
      一歩外へ出れば、木々の緑と空の青を孕んだ風が、颯爽と駆け、シュルクを髪を揺らした。
      すごくいい天気だ。
      シュルクは行き先を見定めて、そして強く地を蹴った。
      
      
      
      
      



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