リンクが目を覚ました時、部屋は、とても穏やかで、暖かくて、静かだった。
      昼下がりの淡い陽光が、窓際で揺れるカーテンを透かして注がれている。カーテンは爽やかな風に吹かれて揺れていた。
      カーテンが揺れるたび、光も揺らいだ。平和な午後の一時、昼寝にはもってこい。
      
      ほとんど開いてない眼とぼんやりする頭とで、リンクは、そんな部屋の情景を確認する。平和だ。何にもない。
      どうやら近くには誰もいないらしい。これといった物音はどこからも聞こえてこず、ただ静かに吹き入る風の存在だけを感じた。
      寝直そうかな、そんなことも思った。このまま瞼を上げるのを諦めてしまえば、すぐにでも眠りにつけそうだ。
      でも、何か引っ掛かる。
      ここ、どこだっけ?何、してたっけ?何かあった?俺、何で椅子に座って昼寝なんてしてたんだっけ……?
      ゆるりゆるりと、リンクは自身の記憶を目覚めさせて行く。同時に、のたりのたりと、いやぁな情感が思い起こされてくる。
      ……やっぱり、寝直した方がよかったかもしれない。だがそれはもう無理そうだった。
      うっすらと開いた視界にその色を認めたその途端に、リンクの目は、完全に覚めきってしまった。
      
      そこは、紅玉の世界だった。
      艶やかな紅色の絹。深みある真紅の布は、上質な光沢を持っていて、華美でありながら品位を漂わせている。
      また柔らかな質感はとても涼しげで、とても暖かで、いつ触れても心地いいだろうと思えた。明らかに、良い布だ。
      その布をこれまた繊細で美しい金の刺繍と、軽やかで愛らしい白のレースが、程よく飾りつけられていて、紅色を引き立てていた。どこを取っても、最上の代物。
      リンクも、その物自体に対しては馴染まぬものこそ感じるも嫌悪はまったく抱かなかった。
      もっと身に合うものであったならば、自ら進んで手を伸ばしていたかもしれない。けれども、それは……
      
      リンクは、ゆっくりと顔を上げた。そして、ちらと横目で見てしまう。
      自分が座らされた椅子の横に立てられている、大きな姿見、視線を移しながら、リンクは自身の愚かさを呪った。でも見てしまう。
      鏡の中に、ちゃんとリンクは座っていた。
      青い目と長い耳、弛んだ口元、いつもよりきちんとされた金の髪、締められた首の襟ぐり、飾られた胸元、膨らんだ袖、どこも、紅く、眩い。
      
      鏡の中で、リンクは、ドレスを着ていた。
      
      「……」
      
      まじまじと見詰めて、それでもまだ信じられなくて―――
      全ての整理がつかないうちに、
      
      
      トントン
      
      
      外から、部屋の扉が叩かれる。リンクは一瞬固まった。
      
      「リンク、起きてますか?」
      
      続いて扉の外から掛けられる声。ゼルダ姫の声だ。それを認識するや否や、リンクは……
      
      
      ……咄嗟に、逃げた。
      
      
      「開けますよ」
      
      ガチャリと扉が開かれ、ゼルダが部屋へと足を踏み入れる。
      
      「……?」
      
      既に部屋には誰の影もなくなっていた。開け放たれた窓から入る風に、カーテンがふんわりとなびいて揺れた。
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      「はぁっ……はぁ……っ」
      
      走って、走って、とにかく走りきって、どこまで走ったかよくわからなくなってきたところで、リンクはようやく足を止めた。
      ぜぇぜぇと息が切れる。こんなに無我夢中で走るのは、普段の乱闘ではありえないことだ。
      とても久々な気がした。
      
      「はぁ……はぁ……」
      
      手を木の幹に預け、肩で息をしているうちに、徐々に鼓動が落ち着いてくる。呼吸が落ち着くと共に、気分はどんどんと落ち込んできて
      
      「…………はぁぁ」
      
      リンクは盛大に溜息を吐くと、その場にへなりとしゃがみ込んだ。
      草地を照らす明るい日差しの影となった、ちょっとした木立の中、風がそよいで木々を揺らし、足下では草がなびいて芝の香りが立った。
      
      「何やってんだ、俺」
      
      揺れる木漏れ日の下で一人で頭を抱えながら、リンクは冷静に、何がどうしてこうなったか思い出してみる。
      そうだ、居たのはピーチの部屋だ。ピーチの城の一室。
      リンクが立ち寄ったのは、たまたまだった。たいした用事もなく、ただまた何か美味しいものでもないかと寄っただけ。なのに、ピーチときたら……
      
      『新しい服ができたの』
      
      ……とか言い出すのだ。
      いや、そこまではいい。けど、
      
      『着せてあげるわ』
      
      意味が分からない。
      どうしてそうなるんだ。ていうかこの色の服、既に持ってなかったっけ?! 
      あの時もそう言った。……言った、はずだ。でもいまいち何を言ったか覚えていない。
      たぶん、姫が、ゼルダ姫がいたからだ。遠慮に遠慮が重なって、いったい何をどう言えばいいのかわからなくって、あれよあれよのうちに、この有様、
      で、全てかなぐり捨てて惚けて座っているうちに、眠っていたらしい。そういえば、直前までピーチに髪を梳かされていたような。
      
      「……なんで俺、逃げたりしたんだろ」
      
      それはもちろん、姫が戸を叩いたからだ。あの方にこんな姿、見せられるはずがない。自問自答して、ますます自分の愚かさに嫌気がさした。
      姫に見られたくない? もうとっくのとうに、見られてるじゃないか。
      姫は俺の着替えを手伝ったのだ。主はピーチだったが、時折のぞきに来ては、何かを持ってきたり持って行ったりしていた。
      今更逃げる意味などなかったはずなのだ。せめて隠れるに留めておけば、今頃こんな、こんな姿でこんなところに……
      
      「……」
      
      リンクはいったん、思考を切った。
      後悔先に立たず。考えても仕方がない。とりあえず現実を見ることにする。
      陽は高い。明るい。自分のいるところは暗い。陰っている。とてもいい天気だ。木々の葉は緑で、木漏れ日は影色で、空は青くて、真っ青。
      
      「……はぁ……どうしよう」
      
      どよめく色々な感情を胸に押し込め、リンクは改めて大きなため息を吐いた。とりあえず、何をどうしたものか―――
      
      「リンク」
      
      低く、背後から声をかけられ、リンクは刹那に息を詰めた。
      身体が硬直する。リンクはゆっくりと息を吐き戻しながら、竦めた肩越しに、恐る恐る後ろを振り向いた。照りつける逆光に射られ、思わず片眼をつぶる。
      図らずしかめた顔で、リンクは現れた人物を見やった。
      背に光を受けて、顔が影っている。陰影の中で、明るい金の髪が光って見えた。背が高い、と思うのは、こちらが屈んでいるからだろうか。
      高い位置の肩からすらりと地へ落ちるのは長い翡翠色の衣。
      とても美しい衣だと思った。薄い緑色の軟布がふんわりと風に揺れ、その色は微かな光にもキラキラと煌めいて……
      
      「……って、お前……」
      
      と、ここでやっと現実を認める。
      
      「クラウドッ!?」
      
      リンクは驚きすぎて、思わず向き直ると同時に尻餅をつくように手を後ろへやり、後ずさった。
      対して現れたその人はいつも通りの落ち着いた様子。
      名を呼ばれて、彼女……ではなかった、彼は、静かにこくりと頷いた。彼特有の色の瞳が、影色の光を返した。
      
      「な……、な……」
      
      なんでなんでが多すぎて、何を言っていいか頭が追いつかない。けれどもとりあえず、
      
      「なんでお前……ッ!?」
      
      と、そこまで言いかけたところで、クラウドは不意にリンクの顔へと迫り寄った。そのまま片手を伸ばしてその口を塞ぐ。
      
      「っ……」
      「声が大きい」
      「……あ……ご、ごめん」
      
      気付いて、リンクが潜めた声で謝ると、クラウドはすぐ手を戻し、また元のように佇んだ。長い衣が彼の動きと共に静かに揺れ、木漏れ日に煌いた。
      
      「……なんでアンタまでそんな恰好してるんだよ」
      
      少しは気を落ち着け、リンクは鎮めた声で問いの続きを口にする。するとクラウドは、何を言っているんだと言わんばかりの口調で、こう言った。
      
      「俺が先だっただろ」
      
      言われ、あ、と思い出す。
      
      『あら、新人さんが付き合ってくれてるのよ?あなたは逃げちゃうの?先輩でしょ?』
      
      ピーチがそんなことを言っていた。誰のことだか、ちょっと疑問に思ったものの、そこは深く追求しなかった。
      どうせカムイあたりだろうと勝手に決めていたのだ。それがまさか、この人だったとは……。
      リンクは改めてクラウドのことを眺めた。
      彼が着ているのは、どうやらロゼッタのドレスのようだ。シンプルなラインの、淡いグリーンのドレス。
      単調、と見せかけて、微妙な色合いでちりばめられた星の紋様が照らす光に合わせて見え隠れし、遊び心を覗かせている。
      ふんわりとした薄布が肩から襟を覆っているが、意外と襟元はおおきく空いており、そこから肌や鎖骨が白く覗いていた。
      淑やかで大人びた印象のロゼッタによく合うドレス、なのに、不思議と目の前の彼にもよく似合っている。自分でもおかしいと感じながらも、リンクは確かにそう思った。
      何故だろう。
      クラウドが女性的だ、なんてことは思いもしない。
      むしろ振り回している剣に見合った逞しい体付きだと思う。なのに、どうしてこうも自然と着こなしているように見えるのだろう?
      顔が良いから?仕草が落ち着いているから?それともロゼッタがもともと長身だから?
      
      「……」
      
      と、まじまじと見つめすぎたか、クラウドに、怪訝な顔をされてしまう。
      
      「大丈夫か?」
      
      そんなことまで聞かれてしまって、
      
      「ッ!わ、悪い!大丈夫……」
      「立てるか?」
      「立てる立てる」
      
      リンクは慌ててそう答えて、腰を浮かせた。これで手を差し伸べられたりまでしたら、申し訳なさすぎる。
      ドレスの裾に気を払いながら、リンクはどうにかこうにか立ち上がった。
      一応軽く服から土を払い落とす。やはり上質な布なのだろう。ちょっと払っただけで、深紅の衣服は埃一つ残さなかった。破けたりもしてなさそうだ。
      
      (……なんか、ルピーの減りそうな色してるんだよな、この服)
      
      ふと、そんなことを思った。
      
      「……行こうか」
      「え?」
      
      唐突に、クラウドが呟きだか独り言だかわからないくらいの声で誘うので、リンクは思わず変な声を上げた。
      
      「行こうって、どこに?」
      「帰らないのか」
      「……帰る?」
      
      どこに? 問わずとも明白だった。ピーチの城だ。服も剣も道具も、全てあそこに置きっぱなしなのである。帰る以外の選択肢はなかった。
      
      「で、でも帰るったって……この恰好のまま?」
      「他にないだろ」
      「まぁ……そうなんだけど」
      
      リンクは煮え切らぬ思いで俯いた。仕方ないとはいえ、やはり、この恰好で歩くのは抵抗がある。
      ここまで走ってきて今更何をと言われるだろうが、それでもやはり、受け入れ難いものがあった。
      なのだが、そんなリンクに、クラウドが言った。
      
      「ゼルダ姫が待ってる」
      「え?」
      
      なんでその人の名が……とも思ったが、
      
      「あんたのことを、心配していた」
      
      言われて、省みる。そういえば、姫はわざわざ様子を見に来てくれたのだった。なのに、俺は―――
      
      (……ホント、何やってんだろうな、俺)
      
      ちょっと情けなくなって、内心でまた溜め息を吐く。
      
      (着替えさせられたくらいで騒いで、バカみたいだよな)
      
      そうだ、これくらい、ハイラルで相手にしてる化け物どもと比べれば、可愛いものではないか。
      爪で鷲掴みにされたり、牙で噛み砕かれそうになったり、矢で胸を貫かれたり……そんな日常茶飯事と比べれば、狼狽えるようなことなんかじゃない。
      こんなことで……こんなことで、姫に心馳せを戴くわけにはいかない。
      
      「……行くか」
      
      リンクは、諦めと覚悟をないまぜに、そう呟いた。クラウドも静かに頷いた。
      
      「でもどう帰る?」
      「真っ直ぐ帰る他ないだろう」
      「えぇ?」
      「さっさと戻りたいなら、最短距離で帰る方がいい」
      「最短距離……」
      
      言われてリンクは、ピーチ城の方角の景色へと目をやった。
      ここから見えるピーチ城は、そこまで小さくない。確かに、まっすぐ帰ればすぐに着けそうだった。だがしかし、
      
      「……サーキット、あるじゃん」
      
      今の場所とピーチ城、その間には、カートレ―スの行われるコースが横たわっている。『マリオカート』と呼ばれる、マリオたちのレースマシンが走るためのサーキット場だ。
      ここは乱闘のステージとしても使われているところ、誰が居てもおかしくはない。
      ということは、誰にこの恰好を見られてもおかしくない、ということだ。
      そう思うと、鳴りを潜めたはずの羞恥心が、また頭をもたげてくる。
      
      「誰かに見られるんじゃ……」
      
      不安を口にする。だがクラウドは涼しい顔のまま、リンクに答えた。
      
      「見られたってかまわないだろ」
      「えっ!?」
      
      何言ってるんだ、この人……そう思うも、
      
      「バレなければいい」
      
      そう言われて、リンクはひとまず文句を引っこめる。クラウドは話を続けた。
      
      「この服はピーチ姫とロゼッタ姫のもの。幸い、髪も長くされている」
      
      髪と聞いて、リンクは自身の首元へと手をやった。
      全然気にしていなかったのだが、確かにそこには自分の物ではない、長くて豊かな髪が肌を覆っている。クラウドも同様であった。
      
      「堂々としていれば、正面から見られない限り、疑問には思われないはずだ」
      
      クラウドの言葉には、十分な説得力があった。それでもなお頷けずにいると、彼が付け足す。
      
      「実際、思われなかった」
      
      あぁ、すでにあそこを突っ切ってきたのか、この人は。人前を歩いて来たのか。
      すごいな、純粋にそう思った。この人はなんでこんなに普通にしていられるんだろう。まさか、慣れてる、なんてことはないだろう。
      やっぱり『ソルジャー』とかいうのは心身共に鍛えられているのか。それとも歳の功?でも歳だったらアイクと同じくらいと聞いたけれど……
      
      (あいつだったら、脱ぎ捨てて帰りそうだな)
      
      そして誰にもきっと文句は言わせない。
      すっと、クラウドがリンクへ黙って何かを差し出す。それは日傘だった。ピーチのものだろう。ドレスと同じ、紅い布に刺繍やらレースやらが施された豪華な品。
      
      「……使うと良い」
      
      言葉少なに勧められる。確かに、傘は顔を隠すのにもってこいの小道具であった。だが、すぐには受け取れなかった。
      やっぱり、抵抗がある。
      手を伸ばすことを躊躇していると、クラウドは言った。
      
      「ゼルダ姫が、持たせてくれた」
      「姫が?」
      「帽子を頼んだら、ピーチ姫ならこっちの方が自然だ、と、出してくれた」
      
      リンクの脳裏に傘を用意する姫の姿が思い浮かんだ。その表情は、いったいどんなものだったのだろうか。
      
      (早く、帰らないとな)
      
      姫を想い、観念し、リンクは日傘を受け取った。クラウドに小さく礼を言うと、彼は冷たい色の瞳を細めて、微かに笑んだ。
      そうして自分でも日傘を持ち、淡色のグリーンを花開かせる。
      リンクも同じように柄に手を掛けた……のだが、
      
      「……」
      「……どうかしたか?」
      「いや……日傘って、どう使うのかな、と」
      
      リンクの問いに、クラウドがひどく訝し気に、眉をひそめた。
      
      「……普通の傘と、同じだ」
      「普通の傘?」
      
      そう言われても、困る。
      普通の傘ってなんだろう? 日傘は普通じゃないのか? 
      というか、傘なんて普通の人は使わないんじゃないか? いや、普通の人ってなんだろう? クラウドからしたら、城下の人間と村の人間、どっちが普通なんだ……?
      リンクが本気で悩んでいるのを見て、クラウドは徐々に表情を緩め、不思議そうに眉尻を下げた。
      
      
      
      
      
      
      

                

      「ここ、行くのか……」 しばし歩いて行き当たった先、リンクはげんなりとした口調で、そう漏らした。 「人、やけに多くないか?」 「……多いな」 リンクの投げかけた疑問に、隣のクラウドも、多少の困惑を交えた様子でぽつりと答えた。 「来た時より、増えているような気がする」 クラウドの言葉が、ちょっとした言い訳のように聞こえた。 はずれの木立から歩いて来て、2人はサーキットの辺りまで戻ってきていた。 マリオたちがカーレースをするのに使う、コンクリートで敷かれた道。普段はヘイホーたちがカートを走らせている。 ここはすぐ横にピーチの城があり、また常に天気が良いことも相まって、日頃から人は集まりやすいところだ。 けれど、それを差し引いても、今日はやけに人が多いように感じた。いつものように乱闘が行われている様子もない。 賑わいを見せるサーキットの傍らで、ひとまずパックンフラワーの鎮座する大きな土管の影から様子を探るリンクとクラウド。 彼の目線の先では、デデデとメタナイト、それにソニックが、コースに向かって立っていた。どうやら雑談をしている様子である。 その様子は、ただ暇を持て余しているというより、何かを待っているように見えた。 「何かあるのか……?」 クラウドが呟く。何か、そう聞いて、 「そう言えば」 リンクはふと思い出す。 「マリオとクッパが近々レース対決するって噂、あったな」 「噂?」 「又聞きだけど」 答えながらリンクは記憶をまさぐる。たしか、ちょっと前にドンキーがカートの準備をしていたのだ。 『クッパがマリオとレース対決するんだって!』 彼の話を聞いた限り、なんでドンキーまでカートの準備をしているのかわからなかった。 けれど、その横でディディ―がにやつきながら手伝っていたので、またドンキーが何か妙な勘違いをしていて、そしてディディ―は知ったうえで面白がっているんだろうと、予測できた。 後日、その予測を裏付けたのが、この噂だった。 『なんか、飛び入り参加オッケーらしいよ! え?誰がいいって言ったか? ……知らない!』 いつの間にか、噂はほぼ全ての者に広まっていた。 ……正直、こういった類の話にあまり興味を持てない性分で、その真偽を含め、いつどこでどうやるのかなんて、気にもしていなかったのだが、 (今から、やるのかもな) それなら、人が集まっているのも納得できた。マリオとクッパの対決というだけで一見の価値はあるのに、さらに乱入者もあるとなれば、注目度はうなぎのぼりであろう。 「レースをやるなら、コース上は避けるべきだな」 「そうだな」 レース中のコースを横切るなんて、目立つどころの騒ぎではない。 「回っていくか」 「……」 クラウドの言葉に、リンクは答えず、黙って固唾を飲んだ。明らかに人目のあるところを通る他ない。 覚悟を決めるか、そう思う間もなく、クラウドはさっさと陽の下へと歩き出す。 リンクは慌ててその後を追い、隣に並んだ。 明るい太陽に晴れ渡った空、絵に描いた通りの晴天の風景を、華やかな紅玉と翡翠の傘が二輪、並んで進み出す。 リンクは歩きながら、クラウドに言われたことを思い出す。 他人の目は『不自然』へと向けられる。普通にしていろ。堂々と歩け。傘を使え、あんたは特に耳を隠せ…… 髪に手をやり、耳を覆うように流れさせながら、リンクは懸命に自分に言い聞かせた。 大丈夫、バレやしない。背筋だけは伸ばしておけ。 だが、そんな努力も、次第に意味を見失っていく。意外というべきか、当然というべきか、サーキット周辺に集まった者たちはほぼ全てがコース上へと目を向けていた。 歩きながら、ちらちらと彼らの様子を窺ううちに、リンクも徐々にこちらへの無関心さを感じられるようになっていく。 じきに、レースの開始を知らせる音がリンクの耳にも届いた。同時に歓声が上がり、皆の高揚が、スタート地点から離れたここにもよく響いて伝わってきた。 何食わぬ顔ですたすたと歩いていく翡翠の日傘、それに続く紅玉の日傘、そんなものに、レースの観戦者たちは目もくれなかった。 リンクは歩みを緩めず、日傘の影からそっと彼らの方に目を向ける。 マックがいた。WiiFitのトレーナーと、それにロイが、共に和やかに話している。 オリマーもいて、彼のカラフルな相棒たちが、マックの肩やら腕やら頭やらに纏わりついて遊んでいた。 マックは全く気にしていない様子だった。対してロイは、頭に乗った1匹が気になって気になって仕方のない様子であった。 別の方にはサムスがいた。 胸元できゅっとピカチュウを抱いている。なんだか捕まえているようにも見えるが、ピカチュウもまんざらではなさそうな様子だった。 珍しいことにブラピまでいる。サムスへもレースへも、斜に構えた姿勢で目線を送っている。 だが、マリオとクッパのヒートアップした車体が脇を駆け抜けると、うっかり目を丸めて見入っていた。 カートが過ぎると、逆の方からリンクとむらびとの少年、それにロックが賑やかに駆けてくる。 楽し気にコースを逆走する彼らは、きっと次の観戦ポイントに向かっているのだろう。明るく元気な彼らの起こす風が、こちらのドレスの裾まで揺らしたような気がした。 シュルクもいた。 馴染みの顔だけに、ちょっと緊張をする。しかし、彼はルフレ、そしてロボとの会話に夢中のようだった。 どうせまたカートの走る仕組みや改良点についてでも議論してるに違いない。少なくとも機械の話だ。それはシュルクの目を見ればわかった。 すぐ傍ではルキナが、身を乗り出すようにしてマリオとクッパの軌跡を視線で追いかけていた。 隣に立つキャプテン・ファルコンが、彼女に何かを渡す。どうやら双眼鏡のようだ。ルキナはここからでもわかるほどの朗らかな笑顔で、それを受け取り、喜々として覗き込んだ。 無邪気にはしゃぐ彼女の様子にふと頬を緩めるも、そこでうっかりリザードンと目が合う。リンクが息を呑んで、リザードンもまた、丸々と目を見開いた。 やばい、そう思ったのは束の間、突然、リザードンは声を上げて身を仰け反らせる。 ふくれっ面のプリンに角を引っ張られたのだ。『よそ見するな!』プリンの顔はそんな声が聞こえてきそうな顔だった。 リザードンは半ば強制的にレースへと気を戻す。 リンクははやる鼓動を身を縮めて抑え込みながら、そそくさと顔を背けた。やっぱりバレただろうか。 ポケモンの感覚は鋭いし、彼らは見た目に捕らわれない。たぶん、バレただろう。 けれども、危機感は思ったほど感じなかった。リザードンが人間のやることに文句をつけるとも思えなかったのだ。 彼の口から噂となることもないだろうし。リンクはそう自分に言い聞かせて、緩みかけていた気を引き締める。 もう他の奴らに見られるわけにはいかない。近くにネスやリュカがいなくてよかった。あの2人、特にネスには一発でバレる。 リンクは適度な緊張感と警戒心を取り戻して、集う観客たちから自身の向かうべき方へと目を戻す。 すぐ前を行くグリーンのドレスは、変わらず静かに速やかに歩を進めていく。 そのピンと伸びた背中に、リンクはやっぱり、『なんで』、と思ってしまう。 なんでこの人はこんなに平然としてられるんだ。まさか、本当に慣れてるとか言わないよな……ふとそんな疑問が頭を過った。 「……なぁ」 人の気配が途絶えたところで、リンクは鎮めた声をクラウドに掛ける。クラウドはほんの僅かに目線を流し、リンクへ先を促した。 「なんでその服、着たんだ?」 単刀直入な問いに、クラウドは少し黙するも、嫌忌も見せずに答えてくれた。 「特に、断る理由がみつからなかった」 「……いや、いくらでもあるだろ」 「あの人たちに、悪気はなさそうだったから」 「あぁ、それは、そうだろうけど」 クラウドの言うことは、間違ってないとリンクにも思えた。 姫の戯れには、好奇興味こそあれ、他意が含まれることは絶対にない。そういう意味で、リンクもピーチを信頼していた。 「姫たちは、ちゃんとやってくれた」 「ちゃんと?」 「着付けも、飾りつけも、俺相手でも手を抜かないで、きちんと丁寧にやってくれた。だから俺は、今こうして何を気にすることなく歩けている」 クラウドは淡々とそう語って、 「悪いことじゃない」 と言い、言葉を切った。リンクは改めて彼に感心する。でも同時に、どこかで疑問を拭いきれないでいた。 どうしてここまで客観的になれるのか、どうしてここまで感情の動きを見せずにいられるのか…… リンクには理解できそうになく、また、どう足掻いても真似ることなどできそうになかった。 「……化粧もしてもらえばよかった」 「……え、何?」 あまりにも唐突なクラウドの独り言に、リンクは思わず彼を見返す。するとクラウドは、なんともない顔で言った。 「その方が、気付かれにくい」 あぁ、そういう意味か。 リンクはなぜか胸を撫で下ろした。やっぱりこの人はよくわからない。 ガチャガチャ、と、遠くで何かを弄る音が耳に入る。 見れば、コース脇の茂みの影で、ワリオがなにやら機械の塊をいじくっていた。鼻歌交じりに彼が準備しているもの、おそらくレースのカートだ。 今から乱入するつもりなのだろう。マリオを邪魔したいのか、驚かせたいのか、それとも金目的か。いずれにせよ、毎度付き合わされているに彼の社員たちに同情した。 その同情も吹き飛ばすように、ワリオが(なぜか)いかつい声で高笑いを上げた。 コース上を凄い勢いでマリオのカートが走り抜ける。一瞬の遅れも見せず、クッパのカートも通り過ぎた。 賑やかしか、その後ろをコクッパたちが追いかける。さらにヨッシーが追い、ドンキーが追う。 その2人に目がけて放たれたと思われる緑の甲羅、 当然のように大きく外れて、変なところで跳ね返り、場外へと跳び出した、かと思えば、たまたまあった茂みごとまとめてワリオのカートに直撃した。 ワリオが叫ぶ。そのすぐ横を、甲羅の行方もワリオの怒りも一切合切気にしないクッパJr.のカートが騒音を撒き散らしながら通り過ぎていった。 ―――こんなんで諦めるワリオでもないだろう。まだまだ一騒動ありそうな予感である。面倒そうとも、面白そうとも思った。 けれども、もうピーチの城は随分と近い。ここからはコースを徐々に離れていく方向に進めばよさそうで、関わる必要はなさそうだった。 喧騒を背に、歩くテンポを保つ2人。次第に人の気配は薄れていった。 だがそこで、リンクは見つけてしまう。 「……っ!」 その姿を見て、リンクは、シュルクの時以上に息を詰めた。 2人の行く手、前方に佇む樹木、その根元で、奴が眠っていた。 (なんでいるんだよ) こいつ、レースとか絶対興味ないだろ。 よくこんな賑やかなとこで仮眠取ろうとか思うよな。 っていうかいったいどんだけ寝てるんだ。 どうせ肉とかドーナツとかの夢くらいしかみてないんだろ――― リンクは、木の下で眠る彼、アイクへと向かって、そんな悪態を投げつけた。心の中で。 「……」 リンクが見やれば、クラウドもリンクに目を向けていた。 彼も少し迷ったようだ。アイクは優秀な戦士だと、クラウドも評価しているのだろう。こんなんでも、感覚は鋭い方らしいのだ。 避けれるなら避けといたほうがいい相手。けれども、ここまで来てさらに遠回りをするのも得策とは思えなかったし、それに、アイクは一度寝るとなかなか起きない。 (大丈夫) リンクはクラウドに頷いて見せる。 クラウドも小さく頷いた。2人は進路を変えず、そのまま進むことにした。 大丈夫。リンクはそう頭の中で繰り返しながら、ただ前を見て歩くことにだけ意識を集中させようとした。 大丈夫。見られたりしない。 バレたりしない。 だいたい、無防備すぎるんだ、こいつの寝姿は。何処でどう襲われてもどうにかなるって勘違いしてるんだ、この自信家め。 見てろ、バレずに通ってその鼻へし折ってやる。 ……とかいって、起きたらどうしようか。 いや何考えてるんだ。大丈夫。起きたりしない。 こんな時に限って、たまたま起きて、たまたま目が合ったりなんて、するわけ…… (……するん、だよなぁ) どっちが先だったか、わからない。 けれどもリンクが気付いた時には、既に2人の目はぴったり合っていた。 リンクは狼狽も反省も忘れ、驚くことすらできず、ただ凍り付いたようにアイクの目に見入り続けた。 アイクの目蓋は開ききっていない。僅かに覗いた瞳で、アイクもリンクの瞳に見入っているようだった。 仏頂面はいつものことだが、それに輪をかけて不愛想な表情。とても、眠そうである。こちらの姿もぼんやりとしか見えていないんじゃないか、そう思えた。 (もしかして、俺だって気付いてない?) リンクはふとそんなことも思ったのだが 「リンク?」 その喉から、リンクの名を呼ぶ掠れた声が漏れる。リンクは覚悟を決めて生唾を呑んだ。何を言われても仕方ないと思った。 なのだが、 「……いつもより、美人だな」 その言葉を聞いた瞬間、リンクの顔は耳まで真っ赤に染まってしまって、身体の芯から湧き上がってきたものが命じるままに――― ―――アイクを殴り倒した。 「なんなんだよ、アイツ」 リンクは城へ向かって歩く足を動かしながら、ぶつぶつと毒づいた。 「マジで意味がわからない」 もう前も横も、後ろも見てはいなかった。誰に向けることなく、愚痴を吐く。目に浮かぶたった一人の顔が、ひどく憎たらしく思えた。 「あいつ、呼んだよな」 リンクは確かめるようにそう口にする。 「俺の名前呼んだよな。俺に向かって言ったよな」 言ってみて、自分で認めて、いっそう苛立ちを覚える。 「俺に向かって言うか?普通、男に言わないよな?意味わかんない」 リンクはぎりりと奥歯を噛んだ。 「しかも、なんだよ『いつもより』って。いつも思ってるわけ? 俺のこと美人だとか、思ってるわけか、アイツ」 もう誰の目も気になんてしていられなかった。また何かが込み上げてきて、堪えきれそうになくなって、吐き出した。 「……バカにしてんのか」 すると、 「……違うと思う」 それまで黙って後ろを歩いていたクラウドだったが、ここで初めてリンクを否定した。 あくまでも熱を持たないクラウドの言葉に、リンクのごちゃごちゃになった感情がスッと鎮まる。 力の抜けた表情で後ろを振り向くと、クラウドはリンクにこう続けた。 「アイクは、そういう人間じゃない」 短い言葉。それだけに、全部が詰められている、そんな言葉。リンクは肯定する代わりに黙りこくって俯いた。 その通りだと思った。 アイクはそんな奴じゃない。リンクもよくわかっていた。アイクの言葉に、そんな深い意味なんて入ってるはずもないのだ。 「……それはそれで、困るんだけど」 返事の代わりにポツリと呟いた。アイクの言葉は、他意がないと同時に、偽りがない、ということもよく知っていた。 でも、そうなると、アイクは本当に何の意味もなくリンクの容姿を『綺麗』と言った、ということになる。 いったい自分はそれを、どう受け取ればいいのだろうか。 「単なる褒め言葉だ」 悩むリンクに、クラウドは冷たくも暖かくもなく、ただ伝える。 「容姿端麗というのは、悪いことじゃない」 その言葉があまりにも端的で、無表情で。 リンクはふと思う。 この人にとって、容姿というのは単なる価値でしかないのではないか、と。 リンクから見て『容姿端麗』なんて言葉はクラウドにこそ当て嵌まるものだと思えた。 だけれども、この人は容姿を、自分の姿を『利用価値のあるもの』としか見ていないんじゃないだろうか。 いったいこの人はこれまで、どれだけの人にの褒め言葉に晒されてきたのだろうか。そしてその時、そこに付随すべき感情は――― ―――その感情を、この人は、何処に置いてきてしまったんだろうか。 「……」 リンクはクラウドに何か返そうとしたのだが、 「そうね、その通りだわ」 いきなり、虚空から高い声が2人へ振り掛けられる。咄嗟に2人は足を止めて身構えるも、楽し気な口調で声は続く。 「自分が美しいということは、堂々と誇るべきことよ」 まさに自分のことを話している、そんな自信に満ちた言葉と共に、その人はいきなり2人の前へと現れた。 「ッ!?」 「……」 それぞれに言葉を失い、警戒の表情を露わにするリンクとクラウド。 彼らを嘲笑うように、現れた魔女は含み笑いを見せた。 狼狽を隠せずも、それでもあからさまな敵意を魔女へと向ける2人。それでもなお、彼女―――ベヨネッタの顔は、微笑みを浮かべたままであった。 「あら、いいのかしら? こんな所で……」 臨戦の構えを見せる2人を、ベヨネッタは真正面から、まるで何かを吟味するかのような目つきで舐めるように眺めて、言った。 「そんな恰好で騒いで」 言われてリンクはぐぅと息を呑み下す。彼女の言う通りではあった。 「この先、たくさん人がいるわよ」 「え?」 思わず、リンクはベヨネッタの奥へと視線を動かした。 確かに、進む先には人だかりができている。そういえば、レースの後のセレモニーはピーチの城の玄関の前で行われるのが通例だ。 もうそろそろ、皆ゴールしてしまうだろうか。とすれば、表彰式とかなんとかかんとかで、ピーチの城には人が集まってくる。 (ま、まずい……) 帰れなくなる。そんな新たな危機感を覚えた、その時、 魔女が笑った。 訝るリンクとクラウド、そしてベヨネッタ、3人の足元、音もなく一瞬にして黒い魔法陣が広がり、皆を囲む。 リンクが何を疑問に思う間もなく、その魔法陣は怪しげな光を放ち、3人の姿を影の蝶へと変えた。 気付けば視界は一転して、青空渡る草原から柔らかい色調の室内へと変わっっている。 艶やかな石の畳、可愛らしくも格式高い壁の装飾、釣り下がった豪華なシャンデリア……まさに、ピーチの城の内部、玄関ホールであった。 「……え?」 「転移の魔法」 と、ベヨネッタが落ち着いた声色でリンクに話しかける。 「誰でも使える、というわけじゃないのかしら」 それは純粋な疑問らしかった。 「少なくともあなたは使えるんだと思ってたわ、勇者サン」 「……一応、それっぽいのはあるけど、俺はそんな微妙な位置まで決めては跳べない」 リンクが素直に答えると、ベヨネッタは「ふーん」と、興味があるのかないのかわからぬ返事をした。 「なぁ、これって、もしかして助けてくれたのか?」 「まぁ、そういうことになるかしら」 「なんで」 リンクの問いに、ベヨネッタは口端を引き上げて、 「ただの気まぐれよ」 にんまりと笑った。 「それに、面白そうじゃない」 「おも……まぁ、いいや。とにかく、ありがとう」 「あら、お礼なんて」 ベヨネッタは似合わぬ謙遜に、似合わぬにこやかな笑顔を添えて見せた。 なんだか気持ち悪い、そう思ってしまった自分を戒めようと、リンクが思ったのも束の間のこと。 「報酬はこれで十分」 と、彼女の手元からカシャッと小気味のいい音が鳴る。リンク、それにクラウドが意味も分からず眉根を寄せる。 リンクの中でその疑問はすぐに驚きへ変わり、そして 「なッ……」 一気に動揺へと変わる。 「なに写し絵撮ってんだよッッ!??」 非難がましい大声を上げるリンク。 対して、クラウドはさっさと諦めたらしい、静かに息を吐いて顔を背けるのみであった。 そんな2人の様子などベヨネッタはまるで気にも留めず、心底嬉しそうに手元の物を眺めまわした。茶色い立方体にレンズが付いた、かわいくて便利な道具。 「いいわね、これ」 「てかそれ、写し絵の箱じゃん!?」 写し絵、聞き慣れぬ言葉に、クラウドがほんの少し首をもたげる。 彼にもベヨネッタにも『カメラ』と言った方が通じるのだろうか。なんにせよ、それの名前は『写し絵の箱』であり、持ち主は彼女ではなく、ハイラルの風の勇者であるはずだった。 「なんでお前が持ってんだよっ!」 「あら、失礼ね」 ベヨネッタはリンクの想像したものを見透かし、そしてそれを否定するように言った。 「借りたのよ」 「借りた?」 「えぇ」 リンクが訝し気に聞き返すも、ベヨネッタは何の気も見せずに答える。 「あの子が『飽きた』っていうから」 彼女の単調な口ぶりに、偽りや装飾は見いだせなかった。 たぶん、本当だろう。そういえばアイツ、さっき走り回ってたな、と、リンクは能天気な猫目顔を思い出す。 マリオたちを撮るのに持ってきていたと考えれば頷ける。そしてすぐに飽きて『ヤサシイおねえさん』に貸してしまう、そんな様子もたしかに簡単に思い描くことができた。 そこに、問題はなさそうだ。 ……いやいやそれでも、今その箱の中には大きすぎる問題が詰まっている。リンクは改めてそこに文句を付けようとした。だが、 「ちょっとー? リンク、帰ってるのーー?」 騒ぐ声を聞きつけたか、城の奥からピーチの呼び声が響いてくる。 リンクが視線を外した、その隙に、ベヨネッタはうふふと魔女の笑みだけを残し、あっというまに姿を消してしまった。 「ッ! 待て……」 「リンクッ!」 入れ替わるように、ピーチが城の奥から駆けてくる。 「どこ行ってたのよ!」 ふくれっ面で声を上げる姫は、ご機嫌斜めのご様子だった。 「何かあったんじゃないかって、心配してたんだから」 「ご、ごめん、なさい」 その剣幕に、リンクは慌てて自分の非を詫びるも、ピーチは簡単に許してくれそうにもない。 「おかげでマリオたちのレース見そびれちゃったじゃない」 「え、えぇ、そうなの?」 「そうよ」 心底不満そうに頬を膨らませるピーチ。リンクは素直に反省を見せつつも、一応言うべきことは言う。 「……その大事なレースの前に俺たちで遊ぶのはどうなんだ?」 「……それは、反省してるわ」 ピーチもピーチで、ちょっとは思うところがあるらしく、腕を組んでううんと唸った。これでおあいこ、となるかどうか。 「クラウドも、ごめんなさいね、変なことに巻き込んじゃって」 「いや……構わない」 ピーチの謝意を、クラウドは飾り気なく受け取った。 「着替えてもいいか?」 「もちろん。全部、元の部屋にそのまま置いてあるわ」 ピーチがクラウドにそう伝えると、クラウドは無言で頷いて、一人歩き出す。 そこでリンクは、自分がまだ彼に礼を言えていないということに気付いた。彼はわざわざ自分を探しに来てくれたのだ。あんな、非日常の恰好で。 「クラウド」 呼び掛けると、クラウドは城の奥へと向けた足を止め、肩越しに振り向いた。 「面倒かけて悪かった。……ありがとう」 真っ直ぐにそう伝えると、クラウドは、小さく口端を上げた。 僅かに和らいだ彼の顔。その柔和な表情に、リンクはどうしてか自分の頬が微かに赤く染まるのを感じた。 気付いたかどうか、クラウドはサッと目線を前へと戻すと、風も立てずに城の奥へと歩んで行ってしまった。その背を見送って、リンクはようやく落ち着いた心地がした。 「ピーチ……」 そうしてリンクはやっと、自分が一番気になっていることを口にする。 「姫は?」 おずおずと聞いてくるリンクに、ピーチもやっと聞いて来たかと息を吐いた。 「ゼルダも、奥で待ってるわよ」 「……行ってくる」 「そうね、行ってあげて」 ピーチはそのことについて、多くは語らなかった。その代わりにこう言った。 「あなたもそのまま着替えちゃいなさいよ。ゼルダに手伝ってもらって」 ゼルダに手伝ってもらう、そう聞いて、リンクは少なからず畏怖や萎縮の想いを抱いた。 けれど、リンクは全部胸中に押し込め、黙ってこくりと頷いた。 無用な心配を掛けてしまったのだ。もうこれ以上、無粋な遠慮で姫を煩わせるわけにはいかないし、何より、姫ときちんと向き合って謝りたかった。 そのためならば、己の羞恥くらい、いくらでも捧げよう。 リンクは一人、覚悟を決めた。 ……のだが、 「あ、そうそう」 と、ピーチはこんなことまで言い足す。 「あなたの服、洗っちゃったの」 「……え?」 予想だにしていないことを言われ、リンクの目が点になる。 「な、なんでっ!?」 「だって汚いじゃない」 「キタナクない!」 リンクは反射的に声を上げた。まぁ、洗うなんてこれっぽっちも考えたことはなかったが。 「まだ乾いてないと思うの」 「えぇ!! じゃあ俺、着るものないの!?」 「やっぱりすぐ着替えたいわよねぇ」 目線を泳がせるピーチに向かって、リンクは繰り返し首を縦に振った。 リンクには他にも片づけなきゃならない大問題が残っている。できるだけ早く、着替えてしまいたかった。でも着るものがないんじゃどうしようもない。 困惑するリンクだが、ピーチはそちらへ目を戻すと、大丈夫!と言いたげに、にっこりと笑った。 「そうだろうと思って、用意しといたの、別の服」 「え?」 別の服、そう聞いて咄嗟に、今の服とどっちがマシなのだろうかという疑問が頭を過る。 「そ、それって、いったいどんな服……」 「うふふ」 不安しか感じられないリンクへ、ピーチは朗らかに楽しそうに笑うのみであった。 「なに、その恰好」 晴天の太陽の下、清々しい風が芝を撫でるサーキット場にて、ピットは、出くわしたリンクにそう投げかける。 城の前のサーキットはレースも終わり、観客もあらかた帰ったようで、いつもの呑気な空気に戻っていた。 なのに、 「なんかあったの?」 思わずそう聞きたくなるほど、城から出てきたリンクは、いつも通りではなかった。 「いや、別に」 と、リンクは、訝るピットに向かい、平静を保って答える。 「ピーチにいつもの服洗われちゃってさ」 偽りなくそう答えると、ピットはふーんと何気もない相槌を返した 。リンクは素知らぬ顔で、取り戻した装備を今一度確認していく。剣も盾も、弓矢にブーメラン、爆弾もちゃんとある。クローショットも異状なし。 いつもどおりだ。違うのは、服装だけ。 ピーチが用意していた服、それは、牧童の服であった。 リンクが村でもともと着ていた服。何の変哲もないただの服だけれども、リンクにとっては勇者の服の何倍も身に馴染んだ装いであった。 いったいどこから持ってきたのやら。でもそんなことはどうでもいいと思えるくらい、ありがたいことであった。 肌触りも、香りも、動きやすさも、全てが懐かしくて心地いい。 間違いなく、最高の贈り物だ。ただ、この贈り物に籠ったのが謝罪なのか、感謝なのか、はたまた好奇興味なのか、それは結局聞き出せなかった。 「でもなんで、服脱いだのさ?」 「剥がれたんだよ」 「ふーん?」 嘘は言っていない。剥がれて、洗われた、それは間違ってない。ちょっと間が抜けているだけだ。 なのにピットはひどく疑わしそうにリンクへ視線を投げる。 「なんかアヤシい!」 「アヤシクない」 と、そこへ 「リンク」 もう1人現れ、とても不機嫌そうな低い声でリンクの名を呼んだ。見るからに寝起きの顔である。 「なんか、お前に殴られた気がするんだが」 そういいながら、アイクは自分の頭を掌でさすった。 「さぁ」 リンクは空惚ける。 「寝てたんだろ?だったら夢だよ」 「夢……」 「肉とドーナツ以外の夢も見るんだな、お前」 リンクは手にしたクローショットを眺めながら、そう適当にあしらった。アイクはどうにも腑に落ちないといった顔で、首を捻った。 「……道具の点検なんかして」 「ん?」 「いったいどこに行くつもりさ、リンク」 ピットがじとりとリンクを見やる。 「ちょっと用事」 「その恰好で?」 「たまには良いだろ、勇者やめたってさ」 だんだん言い返すのも面倒くさくなってくる。だが目敏いピットはますます疑惑で目を細めた。 「……やっぱり、アヤシイッ!」 「アヤシくないって!」 「じゃあ今からどこに何の用事か言ってみろ!」 「なんでもないって!あれだよあれ、野暮用!」 「だからそれを教えろっての!」 「やだよッ!」 「吐け―ッ!」 「お前は天使としてどうなんだ、その言葉使いは!?」 徐々にやかましくなってゆく2人の言い合いに、聞くのも飽きたか、アイクが動いた。 「……ついていくか」 「はぁ!?」 「いいね! そうしよう!」 「なんでそうなるんだよッ!?」 するとアイクは当然のように言って見せる。 「道具を持ち直してる、ってことは、誰か強い奴に会いに行くんだろ」 「これはいつもやってることじゃんか、これはっ!」 リンクの言い訳も、アイクは鼻で笑って相手にしない。 リンクは嘘を言ったつもりはなかった。 道具を確かめるのは常日頃のこと。いつ乱闘になるかわからないこの世界では当然のことだし、相手が誰だろうと変わらないことだ。 ベヨネッタだからとか、考えてもない。なのに、 「ふーん」 と、アイクも、ピット同様に訝し気で、ピット以上に楽しそうな目を向けてくる。 こいつはなんでそう勝手な思い込みと勝手な理論で、ホントのことを嗅ぎつけるんだろう。せっかくこっちがいろいろバレないように苦心してるっていうのに! (ダメだ) めんどくさくなってきた。 我ながら早い諦めである。けど、白旗を上げるつもりはさらさらない。 リンクはじっとアイクを睨み、ピットを睨んだ。ピットとアイクも察して、睨み返してくる。 一呼吸分の沈黙、息が合った刹那、リンクは素早く身を翻した。追うように2人が身を乗り出すも、すんでのところでリンクは自分へと向かって伸ばされた腕を回避する。 そうして獣のごとく逃げ出した。 「逃げんなッ!!」 空高く響くピットの声なんて耳も貸さず、リンクはクローショットを手にしたまま地を駆ける。服も人目ももうまるで気にしなくてよく、非常に清々しかった。 このまますぐにでもベヨネッタの所へ話をつけに行きたいところだ。けれど2人を引き連れていくわけにはいかない。 なんとなくではあったが、リンクは、ベヨネッタはあの写し絵をどうするつもりもないんじゃないかと思った。 もしかしたら既に忘れられているかもしれない。彼女も彼女で飽きっぽそうだ。しかし、それはそれでマズいような気がする。 忘れてそのままあの写し絵ごとアイツに箱を返されたら、それこそ面倒だ。というか、嫌だ。困る。 クラウドのことも気になった。 結局、彼が終始何を考えているのか、よくわからないままになってしまった。 彼は今、どこで何を思っているだろうか。ベヨネッタの前で、また会うことになるだろうか。彼にとってあの写し絵はどんな意味を持つのだろうか。 ふと、クラウドの姿を思い出す。 そうしてやっと自覚する。自分は、彼のあの姿を『キレイ』と感じていたことを。あの写し絵に、彼の姿はどう映っているのだろうか。 ……自分の姿は、どう映っているんだろうか? (あいつらが見たら、なんていうのかな) ちょっと想像してみる。 どうせピットは笑い飛ばす。きっと笑い転げる。もしかしたら笑うことすら忘れるかもしれない。 じゃあアイクはどうだろう。また、言われるのだろうか、『美人だ』と。 (……やっぱ見られちゃダメだな) なんだか身の毛もよだつような感覚が背中を走り、さらにそこへピットの高らかな嘲笑が脳内に鳴り響く。 リンクはよりいっそうの危機感を募らせて、よく回る頭で追っ手を撒く算段をしながら、身軽な身体を宙へと躍らせた。  



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