先輩!
ロイ……
どうしたんですか?
君を探してるんだよ
僕はここにいますよ?
わかってる……でも見つけられないんだ
君は、そこにいる。なのに、僕は……
……大丈夫ですよ!
彼の笑顔が、マルスの脳裏にはっきりと浮かんだ。
20.どこにいるの
「あーつっかれたーーー」
胡座をかいたまま、腕を上げてぐぅっと大きく伸びをし、
そして背中を地面へと投げ出すピット。
「あっというまに夜になっちゃったよ」
「朝から動いてたはずなんだけどな」
ピットを横目に、リンクも軽く溜息をついた。
彼も多少は疲れたようだ。
そんな2人に目もくれずにアイクは一人で干し肉をかじっている。
だが、リンクはもとより、ピットも今は食べ物より寝床の方が問題らしい。
「こんな暗くて寒い森の中で寝なくちゃなんないなんて」
「文句言うな。火、焚いてるんだからマシだろ?」
「それについてはカンシャしております」
「よし」
「……でもやっぱり夜は温かい布団で寝たーい!」
「まったく……箱入り天使なんだから」
「なんか言った?」
「なんでもない」
そう言ったきり、リンクはその軽くはない口を一文字に結んで、手にしている木の枝で焚火の芯を突いた。
ガサっと薪が崩れ、小さく巻上げられた火の粉が夜風に舞う。
そう大きい火ではないが、夜の森の外気はそこまで寒いわけでもなく、充分な温もりを与えてくれた。
マルスはじっと黙って、炎を眺めていた。
火はリンクがおこしてくれた。アイクが動けば薪はすぐ集まった。
簡単に出来上がる、小さな野営地。
彼らはたくましい。
きっと何処へ放り出されても、うまくやっていけるのだろう。たとえ、一人きりであってもだ。
比べて僕はなんと非力なのだろうか。
こんな森の中で、暗く寂しく冷たい夜を過ごせると思えない。
実際には過ごせてしまうのだろう。
だがこんな風に、よりよい一夜を過ごす工夫を凝らすことは、到底できると思えなかった。
脳裏に浮かぶは自分の姿。
夜の闇が落ちる木々の影、凍てつく風が孤独の不安を集め、吹かれた自分は怯えて逃げまわり、
やがて森の影に抱かれて眠りへと落ちる。
想い描く風景とは裏腹に焚火は燃え、熱を放っている。
ちらちらと揺れる炎の影は、マルスの瞳にも赤い影を映し、ゆらゆらと舞って影を躍らせ、見る者の心中を掻き乱す。
暗い森、夜の闇、冷たい風―――沈んでゆく自分。
その自分に重なるは、赤き影。
自分と同じ、孤独でか弱い小さき者の影。
「にしても」
と、ピットの声が響く。
「どこいるんだろうね、アイツ」
ピットは誰でもない空へと言葉を放つ。
「っていうか本当にいるのかな?」
「マスターが言ってたんだから、いるんじゃないの?」
リンクが言うも、若干投げやりになっている様子。
「……さすがに、探させといて放ったらかしにすることはないんじゃないか?」
アイクもリンクに同意をするものの訝しげだ。
2人の言葉からは諦めが明らかに見えていた。
迷子の捜索に対してではない。自分たちの身の使われように、だ。
「そうだな……
ちょっと寝て、起きて、明るくなるまで探して、それでなんにもなかったら、やめよう」
「りょうかーい」
「……了解」
「マルス、それでいい?」
彼の計画立てに、特に異論はない。
「いいよ、それで」
「じゃあ決まりだな」
「あー羽も汚れちゃったし、明日はぜーったい温泉入るぞー」
ピットは大きな欠伸をしたかと思うと、さっさと寝る体制に入った。
アイクも頭の後ろへ手をやってバンダナを外しにかかる。
リンクだけ、枝を手放すことなく焚火の炎を突き続ける。
明々と燃える炎が彼の顔を照らして、焔色の影を作り、揺らしていた。
「まだ探したりないか?」
黙って焔を眺めていたマルスに、リンクが思わぬことを聞いてくる。
どう返そうか、マルスは少し迷ったが、
すぐに答えるのを諦めた。
何も返さないままその場でスッと立ち上がる。
「マルス?」
「ちょっと歩いてくる。すぐに戻るよ」
リンクが少し心配そうな顔をする。
アイクも僅かに視線をよこす。
だが、そんな2人にマルスは軽い笑みを見せた。
「先に寝てていいからね」
「いや待つ気はないけどさ」
こちらとて、そんな気がリンクにあるだなんて思ってもいないが。
アイクはさっさと寝転がってマントに包まる。
ピットは既に夢の中だ。
まったく、先輩への気遣いなど見えもしない。
マルスは安心して、野営地を離れた。
夜の森は暗い。
闇に包まれた森は本来、安全とは言い難いところだ。
どこから何が飛び出すかわからない、そんな危険を常に孕んでいる。
しかし、そんな空気を微塵も感じさせないほど、
森の木々は暗闇の中にただ佇み、その枝葉を風任せに揺らし、美しき静寂の空間を作り出している。
耳を澄ませば森の囁きが聞こえる。目を閉じれば夜闇を渡る風にのって豊かな土の香が届く。
危険など、どこにもなかった。
マルスは何処ともなく、その足を止めた。
森の空気に身を委ねれば、少し、心が洗われたように軽くなる。
だが、それでも彼への思いは募るばかりだった。
「……ロイ」
居るかも未だ解らぬ彼の名を、マルスは思わず口に出す。
返事はない。
その話がされたのは、もうだいぶ前のこと。
マスター曰く、『ロイが迷いこんで来てる…かもしれない』らしい。
なんとも漠然とした情報、
マルスにとって、動くに値はしないまでも、聞き流すのもまた躊躇われる、なんとも困った報せだった。
本当はもっと上手く、話をかわして情報だけ得たかった。
なのだが、
『どこで?』
マスターに返す言葉を考える間もなく、
その場にいた他3人、リンク、アイク、ピットの浅はかな返事が発されてしまう。
そこからはもはや誘導訊問みたいなもので、
あれよあれよと言ううちに、今に至る。
「……」
色々思い出して、ため息が出た。
マルスの吐息は森の夜風に紛れて消えた。
そもそも、ロイは本当にいるのだろうか?
ふとそんな疑問が湧き起こる。
ロイは本来『ここ』にはいないはずなのだ。
もう、いないのだ。
彼のいる世界、自分のいる世界、
それらは既に隔てられてしまっているはずなのだ。
目で見ることすら叶わない、巨大で絶対的な拒絶の空間によって、
あえて例えるならば、高く分厚く決して打ち崩すことのできない壁のようなものによって、世界は分断されているのだ。
だから彼はいるわけがない。
(いなくて、当たり前)
いつからだろうか。
存在の有無について、『当たり前』だなんて言えるようになってしまったのは。
それくらい彼の存在は自分の中で希薄になってしまっている。
もう、いなくて当然の者になってしまっている。
(もういないんだ)
ただ、何故だろうか。
どんなにわかっていても、理解しても、マルスの中からロイの気配は消えることがない。
自分に言い聞かせても、心を無にしても、いっそ忘れようとしても、彼はいなくなりはしなかった。
新しい世界で、
消えた存在を追い求めようとすればするほど、その後ろ姿は遠ざかって行った。
なのに、ロイがマルスの中に置いて行った何かは、離れようとすればするほど、その存在を示す。
まるで闇夜の中で微かに輝く、小さな小さな星のように。
(ロイ……)
暗くて広い、宙の片隅で、それは太陽よりも眩く輝いている。
なのに、それは僕のいるところから見るとあまりにも小さくて、すぐに見失ってしまう。
マルスは空を見上げてみた。
木々に囲まれた狭い空は、真っ暗な闇に覆われ、何も浮かんではいない。
また夜風が吹き抜け、森のざわめきが聞こえてくる。
(……君は、どこにいるの)
ガサ―――
突然響く物音に、マルスは咄嗟に身をひねった。
すぐ横の茂みから聞こえたように思う。
右手で剣の柄に触れたまま、少し目線を滑らせると、
自分の足元に何かあるのがわかった。
(ん?)
拾ってみると、それは果実のようだった。
(これは?)
だが暗くてよく見えない。拾ったそれを眼前に持ってこようとした、その時
「わッッ!!!!」
「えっ!?」
果実の転がってきた方から、いきなり何かが飛び出してくる。
思わず目を見開くも、反応は間に合わず、
ドサッ、と
マルスは飛び出してきた何かに押し倒される形で地に崩れ伏した。
「いったた……」
「なんなんだ……」
「あぁッ!!」
と、倒れてきた輩はガバっと身を起こす。
「先輩っ!?す、すいません!!」
「え?」
マルスはやっと、首を回し、未だ自分に重なったままの者の姿を見た。
闇の中でもわかった。
赤い燃えるような髪に、クリッとした丸く青く輝く目、顔中に広がる戸惑いと詫びの表情―――
間違いなく、ロイだった。
「ロイ?」
「はい!」
「何してるの、こんなとこで」
「それが大変で……」
「とりあえず降りてくれるかい?」
「え?あ!すいませんッ!!」
ロイは慌ててその身を引いて、立ち上がった。
マルスもまず髪を整えて、そして差し出されたロイの手を取り、立ち上がった。
「で?何が大変だって?」
マルスは肩の枯葉を払い落としながら、ロイに尋ねる。
「そ、それが……」
鼓動が収まらないままの様子だが、ロイは落ち着いて言葉を選んでいるようだった。
「ピカチュウが、大熱出しちゃったんです」
「ピカチュウが?」
「はい……それで、この辺にある木の実がいいって聞いて」
「探してたの?」
「はい」
「ずっと?」
「……っていっても、まだ1日経ってないと思うんですけど」
ロイははにかんだような笑みを浮かべた。
だいぶ息も整ってきたようだが、
マルスには、思いのほか彼が落ち着いているように見える。
(もしかしたら……)
ロイは、ここが何処だか、わかっていないのかもしれない。
「木の実って、これのこと?」
「あ!そうです!拾ってくださったんですね!」
マルスが木の実を手渡すと、ロイは丁寧に礼を言って、木の実を確かめ、懐に入れた。
「早くピカチュウのところに行っておやり」
「はい!ありがとうございます」
ロイはマントを翻し、走り出す。
マルスは、まだ自分がどこか混乱していると認めざるを得ず、ロイの後ろ姿を見ている他なかった。
と、ロイが肩越しにこちらを見やった。
なんだか戸惑いの様子が伺える。
やはりロイには隠せていないのだろう、自分のこの動揺を。
未だ収まらず、心の奥底で揺れている感情の一端を、ロイは直感で感じ取っている。
ロイの瞳の揺らぎを見れば、マルスにもわかった。
だが
ロイは足を止めようとしなかったので、
マルスも、言葉を発したりなどせず、ただ、いつもの微笑を投げかけてやる。
今はピカチュウのところへ急ぐのが第一なのだ、彼にとって。
ロイは、僅かながらも笑みを見せ、
そして前を向いて、夜の森の中へと消えてしまった。
たちどころに森に夜の静寂が戻ってきて、マルスを包み込む。
あれだけ探していたのに、見つかってみればこの様だ。あっというまにまた、いなくなる。
束の間の邂逅、
だがたったこれだけで、
マルスは自分の心を安堵が波のように広がって満たしているのを感じている。
いつどこで、世界がどうあろうと、
ロイはロイでしかない。
そのことが、今のマルスに安寧な情をもたらしていた。
マルスは笑みを湛え、思わず声を上げたが、
夜の帳の沈黙の中、それは森の風に掻き消され、野営地まで届くことはなかった。
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