「パルテナ様!今日も良いお天気ですね!」
「そうですねピット。歌いたくなるほどの良いお天気です」
「え、パルテナ様、歌うんですか?」
「いいえ、言ってみただけです」
「そう……ですか」
「あら、期待させてしまいましたか?」
「いやぁ、正直、想像できなくて……」
「それはそうと、ピット、今日はどのように過ごすのですか?」
「はい!せっかくいいお天気ですし、今日も皆と共に乱闘で腕を磨きに行ってこようと思います!」
「それは良い心がけですね。
しかし、乱闘と一口に言っても、力を使うことは容易く争いの火種となり、人を傷つけることになります」
「それはしかと心に留めております」
「一時の感情に流されてはいけませんよ」
「はい、パルテナ様!」
「今日も一日、良き行いをなさいね」
「はいっ!」
「あと怪我はしてもかまいませんが、おやつの時間は忘れずに」
「おやつ?そんな習慣ありましたっけ?」
「ありませんよ?」
「パルテナさまぁ〜」
「ふふ、いい時間になったら、おやつを差し上げましょう」
「いい天気だから、ですか?」
「そのとおり」
「ありがたく戴きます」
「いってらっしゃい」
「いってきまーす!」
天の門をくぐり、天使ピットは下界へと舞い降りてゆく。
その背中を、女神パルテナは朗らかな笑みで見送った。
だが、その姿が雲間に消えてしまうと、刹那、顔に陰りを見せるのであった。
「うーーん、風が気持ちいいーっ!」
天界の雲間を走る風もいいが、
ここのすっきりと晴れ渡った空から吹き降ろし、カートと共に走り抜けていく風もまたいい。
ピットが適当に降り立ったのは、いつもレースの熱気をはらんだ風が吹く、マリオサーキットだ。
「ピット」
「あ、リンク!」
「なんか用?」
「全然。たまたま来ただけだよ」
たまたま降り立ったところに、たまたまリンクが突っ立居ていた、それだけのこと。
リンクはこちらを見ると、軽くため息をついた。
彼の様子からして、これも、たまたまピットが来て、たまたま溜息をつきたくなっただけなのだろう。
「なーんか疲れてない?」
「ちょっとね。カービィたちの相手してた」
「みんな、何して遊んでるの?」
「今日は鬼ごっこ」
リンクの言葉を裏付けるように、
2人の目の前、サーキットのコース上をリュカやピカチュウ、トゥーンリンクといった面々がキャーキャーとはしゃぎながら走り抜けていく。
その後をアイクとルカリオがやってきて、前を逃げる者たちに合った速さで追いかけてゆく。
「元気だねー。リンクはこんなとこに突っ立ってていいわけ?」
「今“おに”じゃないし、そのうち誰か追いかけてくるさ」
こう見えて、一応リンクも参加者らしい。
「そういうピットこそ、やけに調子良く見えるけど?」
「天気がいいからね」
「ふーん?」
「今日もたくさんイイ事するんだ!」
そう言うピットの顔が、生気に満ち溢れている。
まるで天に輝く唯一無比の太陽のようだ。
「イイこと……ねぇ」
対照的に、陽光に照らされた雲の影のような表情のリンク。
ピットの言う『イイコト』という言葉が、彼には少々腑に落ちないようだった。
「イイことって、何するんだ?」
「なんでもいいじゃないか、イイことなら」
軽々しい言いぐさに、リンクの顔に垂れこめた雲がゆっくりと濃灰色に変わってゆく。
が、ピットは全く気にする様子がない。
「世のため人のため、たくさんイイことして、以って天使の本分を全うすべし、ってね」
やけに明るいピットは、リンクをおいて、まるで空には太陽しかいないとも錯覚しそうな顔色だ。
「それってさ……」
リンクが何か言いかけたが、
「あ!」
「!」
見つけるのはピットが一瞬早かった。
コースの対岸から、こちらへ飛び出そうとするネスの姿。
同時にコース上を走り抜けようとする、何台かのヘイホー達のカート。
コースに背を向けていたリンクが、そちらに振り向いたとき、
既にピットはコース上へと飛び出していた。
「危ない!」
「え!?」
ピットは地を一蹴りすると、翼の力でコースを飛び越える。
そして対岸のネスを半ば押し倒すようにしてコース外へと戻した。
ひゅんと風を切り、先頭のヘイホーのカートがピットの背後を駆け抜ける。
巧みな力加減のおかげで、ネスは少々よろめくだけに留まり、その背中も、ピットはきちんと支えた。
「ピット?」
「ネス、大丈夫?」
「え…あ、うん」
ネスにとっては唐突のことだったようだ。
いまいち状況が呑み込めずに目を丸くしているところ、ピットが顔をのぞきこむ。
その翼の奥で、最後のヘイホーがカートで走り去るのが見えた。
しばしの静寂。
ようやく事態を理解し、
「ごめんなさい」
ネスは素直にピットへと言葉を返した。
ピットもネスがちゃんと分かっていると判断したか、言葉なく満足げに微笑んだ。
「ピット」
と、そんな2人の方へ、リンクが歩み寄ってくる。
「今のは、『イイこと』?」
「え?」
ピットにはリンクの言葉の意味がわからず、ただ彼の目をみつめる。
「ネス」
名を呼ばれ、
ネスも、暗い影を湛えているリンクの瞳を見てしまう。
「今の、避けられたんだろ?」
「え……」
瞬時にネスはリンクの言っていることの意味を捉えたが、
それと同時に、思いがけず読み取ってしまった彼の心中によって、うまく言葉を繕うことができなかった。
「ネスはレースカーに紛れて俺に近づこうとしただけだ。お前が来なければ、そのまま俺を捕まえられた」
「リンク、ぼくのことは……」
「なにそれ!」
ピットの反論は、ネスの言葉よりも早く飛出す。
「僕がネスを助けたのが『イイこと』じゃないっていうの?」
「ちょっとは考えて動けって言ってるんだ」
毅然と放たれる、リンクの言葉。
「よく見ればさっきのネスに助けがいらないの、お前にだってわかるはずだ」
もはや、ネスは自分の言葉の入る余地を見いだせなかった。
「そんなこと!考えてる余裕あったと思う!?」
轟かぬ雷雲の冷たさを思わせるリンクの表情は、ますますピットの怒りを煽った。
「自分が正しいと思ったことをして何が悪いんだ!」
叫ぶように言い放つピット。
その激しさに、後からやってきたアイクやカービィ、ルカリオも、皆、立ち止まる。
しかし途中からでは何がなにやらわからず、ただ茫然と眺める他ない。
人目が増えようとも、2人のやり取りは摩擦が重なり熱を発し、辺りを呑み込んでゆく。
「それが本当に正しいのか、考えろっていってるの」
「人を助けるのに躊躇なんてしてられるか!」
激高したピットの目は、
それまで穏やかに地を照らしていた太陽が燃え盛って猛る様を想起させた。
遂にピットの中の何かが爆発する。
「そうやって余計なことばっかり考えてるからお前ら人間は―――」
「ピットッ!」
裂くような一声。
アイクが、ピットを制した。
「あ……」
「……」
我に返らされ、ピットは言葉を失くしてしまう。
「リンク?ピット?」
アイクの後を追っていたリュカとピカチュウも、その場に顔を出す。
リンクはそちらへと顔を向けるが、ピットは項垂れたまま、言葉を返さない。
「……」
誰かが再び声を上げる、その前に、
ピットは翼に光を宿してどこかへと飛び去ってしまった。
翼が風を切る音と微かな光塵だけが皆の下に残り、やがてそれも消えた。
「ピカ……」
心配そうな声で、ピカチュウがリンクの下に寄って来る。
リンクは屈んでその耳に軽く触れた。
「アイク」
低くアイクの名を呟いたリンクの表情は、厚い雲が覆い隠しているように、影ってまったく読めない。
だが先程まで彼が宿していた冷たくも激しい雷鳴は、すでに姿を消している。
「……ごめん」
かろうじてそれだけ呟かれ、アイクも沈黙で応えた。
トン、と石畳の上に降り立ち、
親しいハイラルの風に身を撫でられて、リンクはようやく心地を落ち着かせることができた。
辺りを見回して、神殿に他の誰の気配もないのを確認すると、軽く伸びをしながら歩き出す。
あれからすぐ鬼ごっこを切り上げ、独り、この場所へとやってきた。
孤立して佇む東屋を抜け、崖の際に立って空を眺めてみる。
雲が切れると、ハイラルの雄大な国土が目下に現れる。
それは自分を歓迎せず、また拒絶もしない。
リンクはそこへ腰を下ろした
しばし何も考えず、ただ風に吹かれるがままにされる。
風は、冷たくもなく、熱も持っていない。
全てを任せて空っぽになるにはちょうど良かった。
思わず、深いため息を漏らしてしまう。
もうこのまま何も考えずに寝てしまおうか、
そう思って、リンクは身に着けている剣の留め具を見やる。そして
「こんにちは」
突然、背後から声が掛かる。
あまり聞き覚えのない声であり、リンクはパッと振り返った。
そこに居るのが誰なのか、
目にしても、リンクはすぐには解らなかった。
純白の衣、金色の装具、たおやかに揺れる若草色の髪……
全てが光に照らされ輝いている。
この光はハイラルの太陽なのか、彼女自身の後光なのか。
「……女神、パルテナ?」
半信半疑のままだったが、やっと思いあたった名は口を衝いて出た。
それを否定するものはない。
初めて至近距離で目にする女神の姿。リンクの頭は緩やかにその存在を認識してゆく。
「ご機嫌麗しゅう」
彼女がにっこりと言葉を紡ぐと、リンクは弾かれたように立ち上がり、
そして女神の足下に跪いて頭を垂れた。
「お……、お初に…お目にかかります……」
「あらあら」
そんな彼のを見て、パルテナは鈴の音のような笑い声を奏でた。
「さすがは騎士の魂を受け継ぐ御仁、礼儀正しいのですね」
「……騎士??」
「ですがリンク、顔を上げてください」
言われて、リンクが顔を上げる。
初めて交わされる、双方の眼差し。
そこにある彼女の顔は、リンクの思っていたものと少し違う様相をしていた。
「畏れは不要です」
初めに見た威厳と自信、そして慈愛にあふれる表情、そこに、僅かではあるが陰りを見せていた。
リンクの知る神々、精霊たちは決して見せることのない、深い深い感情が、彼女の顔からは読み取れた。
「私は、貴方の女神ではないのですから」
女神の奏でる言葉の真意までは読めないが、
その雨に煙った青空のような表情は、リンクに小さな疑問を抱かせた。
いったい彼女は日々、何を想い、何を憂いているのだろうか。
答えは1つしか思い当たらない。
リンクはゆっくりと立ち上がった。背中で剣が盾に触れ、音を立てた。
「何か私に御用でしょうか」
「そんなに畏まらなくていいんですよー。
たしかに私は女神ですし、と〜っても強いですけど、貴方にどうこうできる立場にはないんですからー」
軽い口調と笑みでそんなふうに話す女神は、
ピットの主と思えば不思議なくらいしっくりときた。
リンクは未だに怖れを抱えながら、聞かずにはいられないことを自分から切り出す。
「先程のこと、ご覧だったのでしょう?」
「……ええ、見ていましたよ」
パルテナは、リンクの覚悟を見て取ったか、ごまかしたりなどしなかった。
「俺……」
「リンク」
先程までとは違う、端然とした呼びかけ。
あくまで柔らかで慈しみに満ちた言葉がけなのに、リンクは思わず言葉を詰まらせてしまう。
リンクは女神の顔を見つめる。
微笑みを絶やさぬ彼女は、自分に何を求めているのだろう―――
いや、違う。
―――『ピットに何を求めているのだろうか』
女神の端正な顔に見え隠れする光と影、それら全てはピットに向けられているのではないだろうか。
今、この時、こうして顔を合わせていても、天使ピットの無事と幸福を祈っているのではないだろうか。
それでいて余すことなくリンクにも恩寵を注ぐ、その懐の深さには益々惧れ入る……
そんなことに考えを巡らせているうち、
女神パルテナはリンクが二の句を持たないと察し、彼に陽光のような笑みを向けた。
「ピットのこと、これからもよろしくお願いしますね」
リンクの口から言葉が漏れ出るのを、パルテナは待つことなく、
その場からふいと消えてしまった。
残った煌めく光塵、
それらすべてがきれいに消えてしまうまで、リンクは動かず、その奥を見つめていた。
「ただいま」
「パルテナ様……」
「早かったですね。おやつを食べに戻ってきたんですか?」
「わかってますよ、全部ご存じなんでしょう?」
「あら、私が地獄耳みたいに聞こえますね」
「地獄耳じゃないですか実際」
「そんなことはありませんよ。私にだって聞き取れないことはたくさんあります」
「たとえば?」
「これらの語る言葉とか」
「わぁ、美味しそうなおやつ!どっから出したんですか!?」
「ふふふ、ナイショです」
ピットはまるで子供のように輝く目を菓子へと向けている。
その様子を見ると、パルテナからも自然と笑顔がこぼれた。
「ピット、ゆっくりお話をしましょうか」
「はい!なんのお話をいたしましょう」
敬虔で無垢な天使は陰りを見せず、慈しみ溢れる女神は柔らかな光を絶やさない。
「偽善について」
今日もこの天界には太陽が輝き、空は澄んで、雲が輝いている。
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