やけに空気が重々しいと感じた。
異状を感じているわけではない。
船内の空調、重力制御は正しく稼動している。
だからきっと、これは気のせいなのだろう。
ただ、珍しくこんな所でランドマスターの整備なんてしたものだから、
機嫌が良くないというだけのことだろう。
ファルコは客観的な視点でそう判断し、
何を気にすることもせず、ドックの入り口に据えられた洗面台と向き合った。
水音が響き、黒い油で汚れてしまった羽先を流してゆく。
この音もまた、静かなものだ。
誰も居ないからよく響いているだけ、ともとれるが、
なんにせよ、その音は、些細な違和感と共にファルコの耳をくすぐった。
「・・・ったく」
つい、自らも音を発してしまう。
ピタっと水音は止み、ファルコはさっと指先から水を払った。
そして右側の壁にかけてあるタオルを掴み―――
引いた。
カタン
「・・・・・・」
いやな重みだった。
ファルコはまず、タオルに目をやる。
それは何の変哲もなく、ファルコの手に掛かっている。
強いて言えばちょっと柔らかさが足りないが、そんなことは日頃の洗い方に問題を呈するべきであり、
今現在においては特に問題ない。
問題ない。
ファルコは仕方なく、その目をずらし、
右足下に着目する。
タオルをかけていた金具が、そこには転がっている。
しっかりと、壁に、合金の壁にスクリューで留めてあったはずの金具だ。
「・・・・・・」
なぜ取れたのか。
そんなこと考えたくなかった。
先のことならいくらでも考えてやる。
自分で付け直すなり、もう取れないようスリッピーに溶接させるなり、
そもそもフォックスがこういう細かいところでケチるから・・・
「・・・・・・」
―――それでいいはずだった。自分の世界だったのなら。
「チッ」
ファルコは舌打をする。
もしかしたら、気付いてしまったかもしれない自分に対して。
柄にもなく、世界のことを案じてしまっている自分に対して。
タオルはバサッと、適当に空へ放られ、
濡れたままの洗面台に被さった。
「スリッピー!手ぇ貸せ!調べもんだ」






『はぁ?』
一同の声が重なった。
リンク、マルス、ネス、
クッパにメタナイト、スネーク、さらにピカチュウ。
めずらしく大人数が集まっているわけだが、
その全ての視線が、非常に訝しげに目の前の相手―――
ファルコに向けられる。
「・・・なんつうか」
これまでに見たことがないくらい困惑した様子で、
慎重に言葉を選んでいるファルコ。
しかし、
「マスターが風邪ひいただとぉ!?」
その言葉も待たずして、
クッパがいつもの調子でがなる。
他の皆が一斉に、耳をふさいだり顔をしかめてみたりといった様子を見せた。
「それはどーいう意味だっっ!?」
「風邪はただのカゼなんじゃないの?」
対してネスは冷静なものだ。
「ピィカ?」
2人の足下では、ピカチュウが皆を見上げている。
「あのヒトが・・・ねぇ・・・」
「うむ・・・想像し難いが」
マルスとメタナイトにはまるで他人事。
言われても、いまいち信じられないといった感じだ。
「というか、アレも風邪をひくのだな」
「アレって言わないの」
未だ、マスターという存在そのものすら馴染めずにいるスネークを、
とりあえず言葉遣いからネスが嗜める。
「・・・・・・」
それぞれが好き勝手に話始めるものだから、
ファルコは黙り込むしかない。
わいわいと話が飛び交う中、ただ1人で難しい顔をして腕を組んだ。
「ファルコ」
低く、静かな声。
ふと呼ばれた彼の名に、皆、妙な重みを感じて黙り込んだ。
同時に、声の主であるリンクに視線が集まる。
「マスターが『カゼをひく』って、どういうことなんだ?」
誰もが抱いた疑問を、リンクは改めて口にした。
その表情はやけに神妙で、
顔はうつむき加減、なのに瞳はまっすぐファルコの目を射抜いている。
逃れることはできない。
ファルコはいっそう思案をし、彼とその周りに返すべき言葉を探った。
・・・と、
「なぁぁぁにトロトロやってんだ、鳥ィッ!!」
威圧的でぶっきらぼう、明らかに不機嫌な大声が、そこら中を渡る。
「さっさと連れて来いっつってんだろうがぁ!」
皆が一様に空を見上げるも、声の主の姿はない。
ファルコだけはそれを察しているようで、
皆のように探したりせず、溜め息だけをついた。
「こっちは忙しいのわかってんのかぁ!?」
「うっるせぇなぁッ!!クレイジーッ!」
どこに向かって言っているのか、
「てめぇに言われなくたってわかってるんだよんなこたぁッ!!!」
ファルコは負けず劣らぬ不機嫌さで言葉を吐き捨てた。
どこにも向かわせずとも、相手に声が届くことくらい知ってるようだ。
「だったらとっとと蛇連れて戻って来いッ!!」
そう声が響き、
そしてファルコの横の地面にボゥっと白い光の輪が浮かび上がる。
ファルコは更に大きく息をつき、
「・・・スネーク、てめぇが呼ばれてる」
「俺が?」
「あぁ」
「なぜ?」
「いいから行くぞ。アレにこれ以上怒鳴られんのは気分ワリィ」
「・・・」
スネークは黙って動き、輪の中へ入っていった。
その姿が輪の上で掻き消えたのを確認し、ファルコもその後を追う。
「ピカッ!」
するとピカチュウが、皆の中から走り出てきて、
「ッ!?」
羽を走る静電気に驚くファルコにも目をやらず、
ファルコと共に消えてしまった。
輪も彼らと共に消え、辺りには、静かな沈黙だけが残った。
「クレイジー!!」
空に向かってリンクが叫ぶ。
返事はない。
だがそれでも先を続ける。
「マスターがどうしたっていうんだ!」
しばしの間を置いて、
「・・・どうもしない」
声が返ってくる。
「ちょっと調子悪ぃだけだ」
「俺も・・・」
「てめぇに用はない」
「だけど!」
「うるせぇなぁ!!」
少し、声が荒くなる。
「てめぇらローテク組には用はねぇ!ヒマなら見舞いにでも行って来いッ!!」
そう言い捨てられ、
その場から、クレイジーハンドの存在が消えたのがわかった。
「・・・」
空を見上げ続けるリンク。
まるで鳥でも見上げているかのように、遠くを見詰めている。
「・・・なるほど、ね」
マルスが1人ごちる。
なんとなく、事の次第を理解しつつある、そんな様子だ。
「なぁ〜に1人で納得しとるかぁっ!」
何もわかってはいないクッパがマルスの独り言に割り入った。
「あいつら、我輩置いてどこ行ったというのだ!」
「・・・たぶん、それはクレイジーしか知らない所だろうな」
「どこのことだ?」
「僕が知るわけないだろう?」
「じゃあ、何がなるほどなの?」
ネスとメタナイトが、マルスを見上げて尋ねる。
「・・・マスターの調子が悪いってこと」
「風邪をひいたのだろうか?」
「もちろん便宜だろう、その言葉は」
マルスは3人の視線を確かめて、続けた。
「マスターの調子が悪い、だからクレイジーが補助している。
でも手が足りない、だから使えそうな者だけ、彼なりのやり方で集めている・・・
そんなところじゃないかな」
「・・・」
それぞれが、それぞれに、
自分の考えを持っているように見えた。
きっとメタナイトは察しているだろう、ネスには読めているだろう、
そしてクッパはわかっていないだろう。
「君はどう考える?リンク」
「え?」
ずっと空を見たままでいたリンクも、
名前を呼ばれて振り返った。
全然話を聞いていなかったようで、きょとんとした目をしている。
「・・・」
マルスにその目を合わせ、数回瞬かせ、
「お見舞い」
そして発した言葉、
「お見舞い、行かなきゃ」
皆の思考がしばし止んだ。

「・・・・・・リンク」
「ん?」
答える前に、地に足が着いた。
爽やかな緑の風吹くグリーングリーンズ。
今日もウィスピーウッズは美味しそうなリンゴをたわわに実らせている。
だがリンクは留まることなく、慣れた足取りでまた歩きだす。
マルスも黙って続く。
少し歩き、そしてすぐにまた辿り着いた崖っぷちから、リンクはその身を空へと送った。
マルスも同じ崖から1歩踏み出す。
「・・・本当に行く気かい?」
肌を上っていく風を感じながら、マルスは再び言った。
「・・・・・・今更、やめたなんて言うか」
リンクの声が返ってくる。不思議と風斬り音は邪魔と思わなかった。
マルスが言葉を返す前に、またも足は地に着く。
もはや地面を見ることなく、リンクはスタスタと着いたステージを横切り去った。
今度は太陽の眩しい常夏の島、ドルピックタウン。
ちょうど、噴水の横にはディディーが居て、こちらを不思議そうに眺めてくるが、
リンクは気付いていないようだし、
マルスも目をやって、手を上げ軽い挨拶をするに留め、
そしてリンクの後を追い、更に空へと飛び出す。
「やめろという気もないんだけれどね」
「じゃぁいいだろ?」
「いいのかい?」
「いいんだよ」
言い捨てるような口調。
じっと下方をみつめるリンク、彼の足が再び地に着く。
「・・・」
今度は、すぐにその足を出そうとしなかった。
マルスも着地し、リンクの隣で足を留める。
今度は薄い木の板が渡されただけの大滝前の一角。
2人の―――いや、リンクの目的地とは、似ても似つかぬ明るさを持つ場所。
ここで10箇所目。それ以上かもしれない。
数はもはや関係ない。
とにかく、
2人はどうやってもマスターハンドの居場所へと辿り着くことができずにいた。
「いいのかい?」
マルスの言葉に、リンクは答えず、
ややあって、
1つ、大きな溜め息をついた。
「こうやって、僕らはあの人の手の上で踊らされてるのさ」
「病人の悪口は言うもんじゃないよ」
この上ない褒め言葉だと思うのだが。
そんな言葉は胸にしまい込んでおくことにする。
リンクはいたって真摯な顔で、辺りを見回していた。
茂るジャングル、その奥深くからは見知らぬ生き物達の吐息も聞こえてきそうだった。
「リンク〜!」
軽やかな呼び声が降ってくる。
見上げれば、頭上を渡るつり橋から、ピーチがこちらへ向かって手を振っていた。
「上ってらっしゃいよ〜」
呼びかけられ、
2人はどちらからともなく上へと伸びる梯子に手を掛け上がっていく。
そこは地と空の境目、森の中でも最も豊かな場所のようだった。
さんさんと注ぐ太陽の光、大滝の散らす細かな水飛沫、
それらに囲まれて緑の木々が生い茂っている。
その木々の下に、姫たちは居た。




「ごきげんよう、ピーチ姫」
「あらマルス、貴方もいたの」
「今日もクールですねぇ、姫」
姫の涼やかなあしらいに、マルスも苦笑をして見せた。
「揃って何してるの?」
リンクはピーチと、
それから彼女の足下左右にいるカービィ、プリンを見やって尋ねる。
すると、カービィとプリン、2人が顔を見合わせ、
「これ〜ッ!」
「プゥ〜リッ!」
ちゃっと、
両手でなにやら掲げて見せてくれた。
「わぁ・・・」
「うん、美味しそうだね」
マルスの一言にピーチも微笑みを浮かべる。
2人が出したのは、バスケット。
大きめの編み籠、そこにめいっぱい、フルーツが盛られていた。
「採ってきたの?」
「そうよ〜」
「みんなで食べるの〜」
カービィが嬉しそうに笑った。
そうしているうちに、
森の奥からハンマーを担いだアイスクライマー、ポポとナナが走ってくる。
「姫!」
「こっちもいっぱい採れたよ!」
元気に飛び跳ねる2人、
その後ろから、これまた沢山の収穫物を抱えたドンキーコングが歩み出た。
「あれ?リンク?」
ドンキーがこちらに気付く。
「マスターのお見舞い行くって聞いたけど」
「え?」
言われて、つい、妙な声を上げてしまった。
「あぁその話なら私も聞いたわ」
ピーチも言葉をかぶせる。
リンクはマルスと顔を見合った。
噂は相当足が速い。
「どうだった?」
「いや・・・」
少し言い淀むも、
「・・・まだ行けてない」
すぐに続けた。
「マスターの所に行けないでいるんだ」
「どういうこと?」
「行こうとしても、他のところに着いちゃう」
ピーチとドンキー、2人の表情が曇った。
「やっぱり、それもマスターが風邪ひいたっていうのと、関係あるのかなぁ」
「・・・全くないとは、言えないね」
マルスが素直な考えを述べると、ドンキーはなお影を濃くした。
「あの人は働き過ぎなのよ」
「働き過ぎ?」
ピーチの言葉、リンクの頭には小さな疑問符が浮ぶ。
「マスターは、ずーっと、ココのこと見てる」
「すっと・・・」
ドンキーの言葉を1人、反芻するリンク。
「マスターって、ココの神様みたいなものだし」
「休むわけにいかないよね」
「よね〜」
ポポとナナ、それにカービィとプリンも肯く。
「誰かと代わるわけにもいかないもんね」
「代わりたがってるヒトは居るけどね」
マルスがぽつりと呟いた一言に、
それまでの表情から一転、ドンキーの表情が変わった。
険しい目で睨まれる。
わかっている。自分はやけに捻くれた気分でいる。
とはいえ、
この重鎮にこうも睨まれると、さすがに恐ろしいものだ。
マルスはそれ以上の言葉を慎み、軽く肩をすくめ、その意を見せた。
「・・・でも、思っちゃうわ」
と、
意外にもピーチが言葉を挟む。
「あのヒトがカゼだなんて、なんだか・・・きな臭いもの」
再び、ドンキーも目線を落としてしまう。
やはり彼らは気付いているようだ。
マルスは小さく、息をついた。
「キナ?」
そんな空気に水を注す、能天気な声。
「きな粉?」
どうやら『きな』の意味が解らなかったらしい。
「きな粉?」
「きな粉なの?」
つられて、
同じくわかっていなかったらしいポポとナナも声を上げる。
「きな粉餅食べたい!」
「あ〜!いいな!」
「食べたいかも!」
陰りかけていた顔も、いつの間にか晴れている。
ついつい、ピーチやドンキーも笑いだし、
穏やかな呆れ顔を浮かべた。
「長話しててもしょうがないわね」
「プゥ!」
未だ、雨模様の顔をしたリンク、
その手元に、スッと差し出される1つのバスケット。
「?」
「プリ〜ィ」
プリンがこちらを見上げ、背伸びするように、それを持ち上げていた。
バスケットと、大きな瞳とを交互に見やりながら、
リンクはバスケットを受け取った。
入っているのはリンゴ、ブドウ、そして大きなメロン。
始めに見たより減っているところを見ると、いくつか別のに移したのだろう。
「そうね、お見舞いにフルーツは欠かせないわ」
言って、ピーチも1つ、桃を取り出し、リンクのバスケットに加える。
「これも!」
「あ!バナナ!」
「ドンキー、自分のとこにいっぱい持ってるでしょ〜」
「そうだけど・・・」
「これもいい?」
「・・・しょうがないなぁ、いいよ、あげる」
しぶしぶながら、ドンキーの了解も得て、
ポポとナナは、バナナとパイナップルを1つずつ差し出した。
「あとこれ〜!」
最後にカービィが、
どこから取り出したのやら、棒つきのキャンディーをバスケットに差す。
あっという間に、
そのバスケットは始めよりもずっとにぎやかな彩りとなった。
「でも行けるかどうか・・・」
「そうしたら、それは貴方達へのお見舞いってことになっちゃうわね」
「残念な結果だ」
「そうならないよう、頑張りなさい」
「仰せのままに」
マルスは柔らかな笑みを返し、
「行こうか」
リンクを促した。
それに軽く肯き、リンクもピーチ達に礼をすると、
彼女達に背を向け、バスケット片手に歩き出す。
マルスもそれについていく。
「・・・行けるかな?」
皆の視線を背に受けながら、リンクはマルスに呟いた。
「行けるさ」
マルスは明るいともいえる声色でそれに答える。
「・・・そう遠くないうちに」
マルスの言うことは、よく当たる。
そして、彼の言うことには必ず理由が隠されているのも知っている。
だが、そう思いながら、底では運が良かっただけだとも思っていた。
ジャングルを離れて、3回落ちたところで目的地には到着した。
終点。
果てなく広がる暗闇の中に、ぽつんと取り残されたように浮ぶ、四角い無機質なステージ。
その味気ない平面の上で、
その人は、ステージの放つ青白い光に包まれ、立っていた。
ただ立っていた。
「・・・」
こちらに向けられているのは、絶対に汚れたりしない、純白の背中。
声をかけていいものか迷う。
しかし、
マルスの無言の催促を背に受け、
「マスター」
静かに呼びかけた。
ヒトの姿で佇むマスターだが、リンクの呼びかけに、振り向いたりなど全くしない。
「皆、よほどヒマなんだね」
声はいつもどおりのように聞こえた。
「君たちが心配するようなことはないよ。どこにもね」
柔らかで、揺らぐことなき余裕を持つ、いつもの主の声だった。
「そもそも、ココの統治者である僕が、心配なんかされて喜ぶとでも思っているのか?」
「別に貴方の心配をしているつもりはないよ」
マルスが言う。
その言葉に偽りもごまかしも見当たらない。
「君はそうだろうね、マルス。でも他は違うんだろ?
そんな果物なんて持ってきて、僕が食べるわけないじゃないか」
「そうかな?僕は貴方なら食べてくれると思うよ。
ねぇ、リンク」
彼はリンクに言葉を求めた。
しばし、沈黙が流れる。
マスターは相変わらず振り返ってはくれない。
「・・・」
マルスも何も言おうとしない。
リンクは、マスターの背をじっと見詰めた。
主の背中、その姿こそが、取り繕っても隠し切れぬ何かを示しているように感じた。
「・・・
本当に、大丈夫なのか?」
リンクはどうしても、聞かなければならなかった。
だが、
この言葉に、マスターハンドが少しだけ動く。
頭を、僅かに、本当に僅かにだけ傾ける。
肩越しにちらと覗いた紫眼、
その光に、
リンクは思わず、後ずさりすらしてしまいそうになった。
まるで、喉下に突き出された槍のように支配的な光。
「・・・」
冷たくこちらを睨む、マスターの目。
リンクは、気概でそれを見詰め続ける。
なぜ目を反らさないのか、よく解らない、だが自分のためでないのだけは確かだった。
自分の中の義務感、正義感、プライド・・・これらはその理由に当てはまらない。
どちらかといえば危機感、あるいは単純な心配りに近い。
だがそれらともまた少し違う気がする。
自然と、バスケットを握った左の拳に力がこもった。
どれだけ経ったか。
ふと、マスターの目が離れた。
もとのように自身の正面へその視線をやる。
そして二度と動こうとはしなかった。
様子を察して、マルスが無言で背を向けた。
マントをひらりとひるがえらせ、彼は歩き始める。
「・・・」
リンクは持っていたバスケットを黙って地に置いた。
「・・・これ、よかったら、食べて」
おまけ程度にそう言葉を残し、
そしてマルスの後を追った。
トンと軽く地を蹴りマルスは場外へ消える。
リンクもそれに倣う。
あとには、終点の空、マスターの背中、小さなバスケットだけが残った。

それからまた、3つほど場所を変えて、
リンクはやっと立ち止まった。
広大なハイラルの空中神殿は、今日も静かで、穏やかな風が吹いている。
リンクは石畳の上で立ち止まって、
一度、ちらりと振り返る。なにやらマルスに対して言いたげだ。
しかしマルスは何を答えもせず、ただ同じく立ち止まっているだけ。
リンクは向き直って、目の前に在る空を眺めた。
やけに晴れやかな空だった。
「・・・行くんじゃなかった」
まるで溜め息をつくように、リンクが言う。
「何故だい?自分のお見舞い品がなかったから?」
茶化すようなマルスの言葉を、リンクは否定もしなかった。
「あんな風に言われて、睨まれて」
リンクの言葉は、彼がまるで拗ねているようにも聞こえたし、
語る背中も、マルスには、先程のマスターのものと重なって見えた。
「それにきっと、果物なんか食べないよ、マスター」
「いや」
マルスはしっかりと、確信を持って言った。
「食べるよ、必ず」
「どうして?」
「もし受け取るつもりがないのならば、僕たちの前で塵にして見せるさ、あのヒトは」
リンクが振り返る。
そしてマルスの顔をうかがった。
いつものように微笑を湛えてはいるけれど、
冗談や慰みを言っているようには見えなかった。
「きっと、食べるよ」
そもそも、そういう人じゃない。
隠しはしても、偽りはしない、そういう人だ。
「言ってやればよかったかな?」
リンクの視線を受けてか、
「『要らないなら消せば?』って」
彼は、悪戯っ子のように笑ってみせた。
そんなマルスに、リンクも思わず失笑してしまった。
「で、この後どうする?」
「どうするって?」
「気になるだろう?クレイジーハンドたち」
「今度はそっちを探そうって?」
「どうだい?」
リンクはしばし考え込み、
「・・・いい、やめとく」
短くそう答えた。
「ファルコたちが行ってるんだ。任せるさ」
マルスとしては、そちらも是非つついてみたいわけだが、
リンクがまっすぐ前を見てるようなので、それ以上は言わなかった。
「それより、付き合ってくれない?」
「?」
何にかを聞く前に、リンクが背中の剣を抜いた。
「なるほど、憂さ晴らしか」
「そういうこと」
「僕相手じゃ、晴れないよ?」
マルスの挑発に、リンクは、口元を引き上げた。
左の手で抜いた剣を一度くるっと回し、マルスに向かい正眼に構えた。
・・・憂さ晴らしなんかじゃないことくらい、わかっている。
しかし、では何なのかと言われても困るのだ。
マルスも、目を細めてフと笑い、
そして光るような音と共に、剣を抜いた。
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